絶望の中で希望のかけらを無理やり探し出すような歌“オールカテゴライズ”でデビューする18歳のシンガーソングライター・焚吐。小学4年生からギターを弾き始め1年後にはオリジナル曲を制作、以後ライヴやオーディションへの応募を続けてきたという。芯の強さを感じさせるプロフィールだが、取材の場で待っていたのは黒いジャケットに身を包んだ端正な青年。8頭身間違いなしのスレンダーな体から響く声は歌声と比べると微かだったが、しっかりと言葉を伝えてきた。
コミュニケーションを取ることが苦手だった。それを補うために曲をどんどん作っていった
── 焚吐さんというお名前は本名ですか?
「読み方自体は本名ですね。漢字は当てました。自分のこれからやりたいことや、自分がこれまでやってきたことに、一番合致する名前は何かなと思って。焚という字は、これまでの自分に近い、負の感情と、自分の中で消化していくという思いを込めました。吐という字は、これから皆さんに聞いていただく機会も少なからずあると思うので、それに対する自分の決意を込めました」
── 今大学生ですね。大学でも音楽関係を専攻?
「音楽学科に入っています。自分が今まで無意識にやってきたことを理論化して教えてくださるので、これからの楽曲作りにすごく役立つと思います」
── 小4でギターを弾き始めたそうですが、どんなきっかけで?
「小学校4年生の時に少年野球チームに入っていまして、その理由が、長嶋茂雄さんと同じ誕生日ということで。でも自分が運動音痴なのもあってなかなか上手くならず、それに対しての反骨心がずっとありまして。それから逃れるためと言ったら言い方が悪いんですけど、一番初めに習い始めたのがギターでした。何か習い事を増やせば、どこかで無理が出て野球をやめられるんじゃないかと思ったので」
── 野球以外にギターが選択肢になったというのは、それ以前に音楽に興味をお持ちだったの?
「ギターを始めるまでは全然興味がなかったんですけど、それまで英会話や体操など、習い事はやりつくしていたので。音楽方面はやったことないなと。一番手軽に始められるのがギターじゃないかなと思いました。ピアノだとかバイオリンは敷居が高いように思えてしまって」
── で、ギターを始めてみてどうでした?
「一番最初は野球から逃れることに必死だったので、あまり思っていなかったんですけど、続けていくうちにギターの良さがあるんだなということがわかりました。始めて1年経たないうちにオリジナル楽曲を書いて先生に見せ始めていたので、カヴァーというよりは自分の楽曲をやっていましたね」
── 小学生でオリジナルとは早熟ですね。
「完成度的にいいなというより、人とコミュニケーション取るのが苦手だったので、それを補う形で楽曲をどんどん作っていって、形にしていった感じですね。最初は手探りだったんですけど、やっていくうちにどんどんコードのバリエーションも増えていって。これからちゃんと作れるんだろうなという感じでした」
── 最初に自分の曲ができた時はどんな気持ちでした?
「最初にできた曲は、とにかく陰々滅々とした暗い楽曲だったので。こういうものかと思いました。親にも聴かせたんですけど、とにかく暗かったもんですから、心配されて」
── その後は心配されない曲を作ろうとか?
「心配されないというよりは、もっと自分がコミュニケーションを上手く取れるように、どんどん思いを吐き出そうと作っていった感じですね」
── 例えばいろんな曲を聴いて作曲を学習したり?
「一番最初に聴いたのがYUIさんだったので、そこからルーツを辿って、70年代、80年代のフォークや歌謡曲もずっと聴いていて。それがルーツじゃないかなと思います」
── オリジナルを作っていくことで変化はありましたか?
「周りが当たり前にできてることができていなかったので、それを音楽で補うという感じでした。あまり優越感というものもなく、これでやっと対等になれるのかなと思いました」
── 学校でお友達に聴かせたりして?
「そうですね、小学校の時は発表とか、中学生の時はライヴハウスで自分の思いを伝えていました」
とにかく自分の過去を精算したいという
気持ちがあった
── 早いですね、中学でステージデビュー。
「小学校5年生からオーディションを受けていたので」
── ライヴもその頃に始めたんですか? ソロで?
「ずっと弾き語りでやってきたので。他にもバンドも組もうとも思ったんですけど、音楽をやるにつれて自分の中の音楽の熱と周りとの温度差を感じ始めました。自分が音楽をやってるスタンスが、自分の思いを伝えるということなのに対し、周りは楽器やったらモテるんじゃないかみたいな感じだったので、少し自分とのギャップを感じて。それでバンドは組めないからずっと弾き語りでやってきました」
── そういう音楽活動をしながら学校はどうだったんですか?
「小学校の頃は、割と密な、今でも連絡を取ってる友達とかもいるんですけど、人となかなか密な関係になれずに過ごしたりだとか。いじめとかもありましたし。ひたすら悲観的になるというか自己嫌悪の掃き溜めみたいな、そういう曲をずっと作っていました」
── 日常は大変だけど音楽やってる自分は解放されてるとか?
「解放感というよりは、学校で、周りが当たり前にできてることができなくて。負い目みたいのがずっとあったので。やらざるを得なかった感じですね」
── 当たり前にできないことってどういうことですか?
「自分から会話に入っていける感じでもないし、周りみたいに気の利いたシャレが言えるわけじゃないし。そのことに自分はずっと負い目があって。自分が明るくなって、周りと打ち解けていこうって気持ちはあるんですけど、人を前にするとなかなかそれができなかったですね」
── ライヴやるとお客さん増えました?
「熱心にライヴの情報を見てきてくださる方や、今でも連絡を取ってくださる方もいるんですけど。そうですね、他のバンド目当てに来た方を、なかなか自分の観客に持ってこれなくて。でもそこに関してはあまり悩まなかったですね」
── お客さんのために歌ってるわけじゃないと?
「そうですね。コミュニケーションを取りたいと言いつつ、自分のために歌っていたことが多かったので、今と少し感覚が違うと思います」
── 今は伝えようと思ってるわけですよね? そう思うと、当時の自分は閉じてたと思います?
「今回の“オールカテゴライズ”以前の楽曲は、ずっと自分の中でくすぶっていたというか。伝えたい気持ちはあるけれども、なかなかそこから踏み出せないというか。その思いがずっとありましたね。とにかく自分の過去を清算したいという気持ちがあったので。多くの人に向けてというよりは、単体に向けて書いた曲が多いですね」