最初に断っておくが、この原稿が自分語りなものになるのを許してほしい。今から27年前の1988年。THE BLUE HEARTSのファースト・アルバム『THE BLUE HEARTS』がリリースされた翌年、僕は10歳だった。小学校4年。36歳となった今ではそれはもう遠い過去だが、いつまでも忘れられないTHE BLUE HEARTSにまつわる思い出がある。ちょうどその年に実家にCDコンポが導入され、狭い居間にはCDとレコードとカセットテープのプレイヤーが並んでいた。そういう時代だった。

当時、3歳上の姉が『THE BLUE HEARTS』が録音されたカセットテープを持っていた。姉に勧められたのか、自ら能動的に求めたのかは失念してしまったが、いつの間にか『THE BLUE HEARTS』のカセットテープは僕の手に渡り、なんとなく耳にするようになり、やがて毎日、それこそテープが擦り切れるほど聴くようになった。その時すでにセカンド・アルバム『YOUNG AND PRETTY』もリリースされていたわけだが、そのことは知らなかった。当時の僕にとって「なんだか無性に揺さぶられる音楽」は居間のCDプレイヤーから流れる、今にして思えば父親がどこで買ってきたのかよくわからないザ・ビートルズの海賊版のベストアルバムとカセットテープで聴く『THE BLUE HEARTS』だった。

速くて大きな音。シンプルな言葉を連ね、うまいとか、へたとか、そんなことはどうでもよくなる次元で迫ってくる歌。それは、どうしようもないくらい刺激的で、キャッチーな音楽だった。“パンク・ロック”という曲で〈僕 パンク・ロックが好きだ〉と歌われていて、この音楽はパンク・ロックと呼ばれるものなのだと知った。誰よりもシンプルに目の前に映る世界の実像を射抜いてしまうヒロトと、誰よりも詩的に目の前に映る世界の情景を描いてしまうマーシー。ふたりが互いの存在に憧憬を抱き、譲れないものを補いながら共有し、誰にも引き裂くことなどできない強い絆で結ばれていて、ほかのどこにもいない特別なリリシストであるのを知るのはもう少しあとになってからだ。ただ、THE BLUE HEARTSがとても大切なことを歌っているというのは、感覚的に理解していた。絶対に手放してはいけない気持ちを、速くて大きな音で、うまいとか、へたとか、そんなことはどうでもよくなる次元で迫ってくる歌をぶっ放す。それがパンク・ロックなのだと。

家でも学校でもTHE BLUE HEARTSの歌を四六時中口ずさんでいた。とりわけ“未来は僕等の手の中”“終わらない歌”“パンク・ロック”“少年の詩”“世界のまん中”“リンダ リンダ”が大好きだった。そして、“リンダ リンダ”と“少年の詩”が、学校で大流行した。所属していたサッカークラブの練習中にも、みんなで大合唱しながら校庭を走った。小学4年のクソガキどもが学校で〈ドブネズミみたいに美しくなりたい/写真には写らない美しさがあるから〉〈愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない〉(“リンダ リンダ”)とか〈誰の事も恨んじゃいないよ/ただ大人たちにほめられるような バカにはなりたくない〉〈そしてナイフを持って立ってた/そしてナイフを持って立ってた/そしてナイフを持って立ってた〉(“少年の詩”)と叫ぶようにして声を重ねていたのだから、我ながら痛快な光景だなと思う。

思春期と呼ばれる季節を迎える前に、あの時の僕らはTHE BLUE HEARTSの歌を通してとても大切なことを、絶対に手放してはいけない気持ちを口にしていた。当然、それは一生ものの歌になる。いつしかロックやパンクと呼ばれる音楽が示す態度の絶対的な基準がTHE BLUE HEARTSになっていた。そういう人は多いと思う。僕と同世代のアーティストを挙げれば、銀杏BOYZの峯田和伸やDragon AshのKjもTHE BLUE HEARTSに強い影響を受けているのはよく知られている。言わずもがな、彼らが体現する音楽もこの国のロックシーンに大きな足跡を残し、多くのフォロワーも生んでいる。そうやってTHE BLUE HEARTSの遺伝子は受け継がれている。

結成30周年を記念したオールタイムベストとも言えるこのメモリアル盤で久しぶりにTHE BLUE HEARTSの歌を真っ向から浴びた。覚える感覚はやはり不変だった。3コードを中心にした初期の楽曲に始まり、キャリアを重ねるにつれアレンジの幅こそ広がっていくが、どこまでもTHE BLUE HEARTSの歌にはロックやパンクの本質だけが閉じ込められていた。トリビュート盤に参加した8組のアーティストもまたそれぞれがチョイスした楽曲をカヴァーすることで、あらためてそういう気づきがあったのではないだろうか。もちろんアレンジのアプローチは8曲8様で、その人らしさを際立たせつつシンプルに「THE BLUE HEARTSの歌」と向き合っているアーティストが多い印象だ。そのなかにあって、個人的な白眉は往年の歌謡曲的アレンジで染め上げている八代亜紀の“悲しいうわさ”と、峯田和伸が追憶にふけりながらひとりきりになったバンドの今を投影するように歌う銀杏BOYZの“TOO MUCH PAIN”だ。

まだTHE BLUE HEARTSの歌に触れたことのない若いリスナーにとって、本作が出会いのきっかけになるのなら、こんなに喜ばしいことはない。そう、THE BLUE HEARTSの歌にはすべてがある。僕らがロックやパンクを欲する理由が。本作に触れてしまったら、それは望めないことだとわかっていながら、誰もがTHE BLUE HEARTSのライヴを観たいと思うだろう。僕もそうだ。でも、ヒロトとマーシーは今もともに音楽と生きている。ザ・クロマニヨンズというバンドで、最高のロックンロールを鳴らしている。

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