BEAT CRUSADERS解散後に日高央を中心に結成されたバンド、THE STARBEMS。いわゆる「ラウドな」サウンドを軸に、日高十八番のロックレジェンドへのオマージュ、いぶし銀のギミック、そしてパンチの効いたアンサンブルが炸裂する彼らのロックは、やはりどのバンドとも比較できない強烈な個性を放っていた。ただ、今回リリースされる2ndフルアルバム『VANISHING CITY』において、バンドはひとつの呪縛から解放されたのだ。それは以下のインタヴューで日高自身が語っているように「ビークルの呪縛」からである。その結果、アルバムは非常にポップで、キャッチーな内容に仕上がっている。ただ、だからと言って「今回はビークルのポップな要素をどんどん注入しよう!」という単純な戦略によって生まれたアルバムでもない。アルバムが完成し、気がついたら、バンドは呪縛から解放されていた。気がついたら、日高央は自分の最強技を使っていた、という表現が適切なのかもしれない。日高と越川に、その自信と確信の理由を訊いた。
インタヴュー=徳山弘基
日高「自分のなかでも自信がついた。『ビークルっぽい』っていうのを避けてもしゃーないし、むしろ『ビークルだったらこうしただろうな』ぐらいのものになってもいいと」
──まずはここまでのTHE STARBEMSの動きをおさらいしたいんです。まず、今年の3月、SXSWに出演するために、アメリカへ行きましたよね。
日高央(Vo)うん、俺が行きたいって言って。年寄りのわがままを聞いていただいたと(笑)。
──あれ、かなり過酷なイベントですよね。
日高確かに。でも、意外といいホテルに泊めてもらっちゃったんで過酷さはなかったかな。
越川和磨(G)いい感じのホテルでしたね。
日高そんな移動距離もなかったしね。ホテルから会場にも歩いて行ったし。もともとは「SXSWに出て、ついでにアメリカでレコーディングも」みたいなのが俺の夢だったの。だから、いきなり夢が叶っちゃったみたいな。
──そうですよね、そのままアメリカでRECもして。
日高そうそう。シングル(『ULTRA RENEGADES E.P.』)を録って。
──じゃあ、アメリカに行ったのは、ラウドがひとつの軸になってるバンドだからこそ、「本場のDNAを」っていうのが大きかったってことですよね。
日高あとはメンバーたちが学生時代からの友達じゃないんで、合宿スタイルがやりたかったんすよね。みんなで移動したり、何か1コのことやるみたいな。それが仲良くなるには一番近いというか。ただ結果、あまり仲良くならなかった(笑)。
──ははははは。
日高一緒に暮らすと粗が見える。
越川結果、今こういう形になっています(笑)。
日高ひとり抜けちゃった(笑)。
──RECはどんな形で進んだんですか?
日高まず、機材がない。アンプがPP、マーシャル、あと変なやつあったな。何だっけな。
越川よくわからないものが置いていましたね。日本に比べたら全然環境が整っていない。
日高あとメンテの概念が違うから、スタジオにギターが10本ぐらい置いてあるんす。「好きなの使っていいよ」とか言うけどオクターブチューニングとか全然合ってない。
越川使えるものがないっていう。
日高だから「音像と気合いとノリでやるんだな」ってのが体でわかったというか。日本みたいにいちいちクリックにカチカチ合わせてっていう雰囲気はなかったっちゃあなかったですね。一応クリックも合わせましたけど。キューボックスもちゃちいからヘッドホンも古いし、片方しか聞こえないみたいなノリのなかでやったんで。そういう意味ではインディーズの頃に街の安いリハスタでRECするのに近かったですよね。だけど上がってくるもんはすごく迫力がある。空気感なのかなあ。向こうの再生環境で聴いてるのと日本に持って帰ってくるのとじゃ全然音が違った。向こうで聴くとちょうどいいんですけど、日本に帰るとギターが異常にでかいとか「歌、小さっ!」とか。だから理想はマスタリングまで向こうでやるのがいいのかなと。また行けるのであれば次回は完パケまでしたいですね、あっちで。
──BEAT CRUSADERS時代を含めて僕の日高さんのイメージって、特にRECでは細かい部分も含めて徹底して自分でディレクションするっていう感じですけど、海外レコーディングだと――。
日高そんな余裕は一切なかったです。
──ですよね。
日高たとえば、日本でやってたら「もうちょっとベースのこのフレーズ、こういう感じで弾いてくれよ」とかあーだこーだもっと細かく言ってたんでしょうけど、結果、コンプ感が違うからいい意味で音がぐしゃっとまとまるんですよね。粗いんだけどまとまってるみたいな。あれはたぶん日本だとできない音像のような気がするんですよね。使っている機材の違いなのか、空気感の違いなのかはわかんないですけど、そういう意味では細かいディレクションはなかった。事前には言いましたけど、実際「せーのっ!」で合わせてみたらそういうのが気にならないというか、いい意味ではちゃんとまとまって聴こえてたんでよかったですね。
日高「明るいおじさんになりました(笑)。ファーストの時はかなり気合いを入れて、ビークルとの差別化に重きを置いていたんで」
──で、日本に戻ってくると、今度はレーベル移籍っていう出来事があったんですけど、そこの経緯についても話してもらえますか?
日高これ、恨みとか悪口とかじゃなくて、ソニーと「契約更新どうしましょうか?」って話になった時に「好きなほうでいいです」って言われて。「更新してもいいし、しなくてもいいです」って。要はソニー内も人事異動があったから旧知の人間がほぼゼロになっていて、向こうも今までのビークルの流れからTHE STARBEMSっていう流れを把握している人もいない。「我々としても持て余してしまうんです」ってことだったし、こっちとしても手探りのなかお互いにやって、結果、悔いが残るんだったら「じゃあ別々でやったほうがいいですよね」ってことだったんで。「一旦お別れしましょう」「別れたけど友達よ」みたいな、そういう中途半端なぬるいカップルの別れみたいな感じになって。そこからすぐ徳間さんが声掛けてくれたんで、それはすごいラッキーでしたね。やっぱりモチベーションのあるスタッフさんとやるほうがバンドにとっても嬉しいし、メーカーさんにとってもそのほうが幸せなことだと思うんで。
──西さんはどうでした?
越川そこに関してはプロの方がリーダーでいるんで信頼し切ってましたね。そこは日高さんもちゃんとメンバーに説明しくれるんで、自分たちよりも経験もあるし知識もあるしノウハウもあるんで、後ろのメンバーは音楽に集中するっていうことだけで。やることは一緒なんでね。演奏していいもの作るっていうのは。ソニーに関してはダカさんがビート時代からずっと一緒なんで、どういう関係だったのか、細かいディテールもわかんない。そこはボスを信頼していましたね。
日高だから俺が「アメリカに行こう」って言った時も、みんなも「そうすか、アメリカっすか」っていう驚きと戸惑いと喜びのなかアメリカに行きましたね(笑)。蓋開けてみないとわからない感じをどんどんやってみないと、バンドの筋肉が付かないかなと思ったんで。だから「ガンバルマン」スタイルですよね。
──やっていることは体育会系ですよね。
越川体育会系でしかないっすよ(笑)。
日高見た目のせいであんまり思われてないですけど、かなりハードな体育会系。TOSHI-LOWぐらいわかりやすいルックスだったら体育会っぽさが出るんでしょうけど(笑)、意外と出ないんですよね。
──じゃあ今回のセカンドは移籍が決まってから、制作もスタートしたんですか?
日高そうですね。でも、どっちみち年内に何か出そうとは思っていたんで。
──今回のアルバム、めちゃくちゃキャッチーですね。
日高明るくなりました。明るいおじさんになりました。
越川はははははは。
日高ファーストの時はかなり気合いを入れてビークルとの差別化に重きを置いていたんで。
──ああ、そこ言っちゃいますか。
日高個人的にもそうだったし、リスナーに対してもそうだったんで。もちろんそこに悔いはないし、よくできたと思うんですけど、1年半ぐらいそれをライヴで披露していくなかでもっと目が開かれたというか。一番デカかったのはシングルのレコ発でkamomekamomeと対バンした時。ヴォーカルの向(達郎)くんは元ヌンチャクなんで「俺も日高くんも前のバンドと比べられる。昔は『そんなこと知ったこっちゃねー!』って跳ね飛ばしながらやっていたけど、今は感謝しながらやってる」って言ってて。ヌンチャクファンで泣いてるコとかいて、それは俺的にも腑に落ちたというか。それを無いものにしちゃったり、そこを避けて通ってたら全然話が進んでいかないんで、あの向くんの強さが俺には心強かったですよね。同じ人がやっているんだから「っぽいじゃないか」って言われるのは当然なので、なるべくファーストの時は差別化を意識してましたけど、そこは別に頑張らなくても十分伝わったんだろうなって。だったら次はTHE STARBEMSとしての個性作りのフェーズに入ってくんだろうなっていうのは自分でも感じていたんで。仮にファーストの時にビークルっぽいのが出てきたら絶対ボツにしていただろうし、なるべく明るい曲は自分でも作らないようにしていたんで、そこを自分でも解放しました。解禁しました。「明るい曲が出てきちゃったけど、もうええやん」っていう。「自分がそれを好きならば遠慮なくやりましょう」っていうモードになれましたね。
──ただ前作がちょっと辛めだったんで、「もうちょっと砂糖をまぶして甘くしよう」っていう発想で作られたわけではないんですよね。
日高じゃない。出てきたものを順番に並べていくなかで、明るいのもあるしっていう。で、前は撥ねていたのを「残そう」みたいな発想に近いですね。