ちゃんみな、20歳を迎えた彼女の思いを詰め込んだ新曲“PAIN IS BEAUTY”インタビュー


私が思っていたよりも愛されているんだな、と感じた(20歳のバースデイ)ライブだったので……ありがとうって思いました


──配信シングル『PAIN IS BEAUTY』がリリースされるということで、もちろんそのことも伺いたいんですが、今回はまず、ちゃんみなさんの人となりについても伺いたいです。

「よろしくお願いします」

──近いところでいうと、10月に20歳のバースデイライブがあって、ひとつの節目になったんじゃないかと思うんですが、そこでの感慨や、考えさせられたことはありましたか。

「20歳という面では、ずっと尖っていたい、より尖っていく20代にしたいなあと思います。あと、私が思っていたよりも愛されているんだな、と感じたライブだったので……ありがとうって思いました」

──ということは、今までは愛されている実感があまり無かったんですか。

「嫌なことを言ってくる人の声のほうが大きく聞こえてきて、愛してくれる人の声が聞けなかったような気がしていたんですけど、最近になって、いろいろ考えながらそういう人たちの文章を読むことができたり、目の前にいるときに表情をゆっくり見られるぐらいにはなったな、って」

──20歳になったちゃんみなさんの音楽的なバックグラウンドを振り返ると、そもそもどういうきっかけで音楽を好きになって、シンガー/ラッパーを目指そうと思ったんでしょう。

「めっちゃ遡ると、ママが歌手をやりたかったらしくて、バレリーナをやっていたんですけど。私がお腹の中にいるときに、この子は歌が上手くなりますようにって、ずっと言っていたらしいんですよ。で、私が一歳半ぐらいのときに、歌手になっていい?ってママに言ったのがきっかけで」

──それ、自分で覚えてるの?

「なんとなく覚えてます。誰かは分からないんですけど、テレビでキラキラした人が歌っていて。それをママが本気にして、ピアノやバレエを習わせてくれて、歌って踊れる人になりたい、と思うようになったんです。ラッパーになりたいとは全然思わず、ずっと生きてきたんですけど。小学校5年生のときに、ダンスの先生に、歌いたいんですけど、って相談して。次の発表会で初めて人前でいきものがかりさんの“じょいふる”を歌ったんです。で、めちゃめちゃ音痴だったんですよ(笑)。そこで心が折れたんですけど、でも、もっとやってやろうっていう気持ちで、それがまた強みになって、練習しまくって。もともと、韓国の音楽がルーツだったこともあって、韓国でデビューするのが夢だったんですよ。ずっと韓国語で作曲もしていて、韓国の事務所のオーディションを受けたりして、高校2年のときに上手く行きそうだったんですけど、話が来たときに、なぜか、1カ月考えようと思ったんです。昔の自分だったらすぐサインしていたはずなのに。普通にラップも得意で、韓国のラップのアイドルとしてやっていくのも良かったんですけど、考えてみたら、それってたぶん二番煎じになっちゃうのかなって。韓国にはそういう人たちが溢れていたので。そのときに、日本で戦ってみようかなって思うようになって。たまたま見つけたのが『BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権』。それまで、日本語のラップをやったこともなかったし、フリースタイルもやったことなかったんですけど、自分の限界を知りたい、と思って駄目元でオーディションを受けて、出場したんです。それからラッパーって呼ばれるようになって、それがなんか居心地悪かったんですけど、歌も歌うし、ラップもするんだというのがあったので、最近はラッパーと呼ばれても、シンガーと呼ばれても、全然平気です」

嘘がつけないんですよ。作り話ができないんです。だから、性格悪い部分が全部見えちゃう(笑)


──小5でいきものがかりを歌ったときに、苦い経験になって。早い時期から自己評価が定まっていたんだと思うんですよ。それで、ラップをしようとか、日本で戦ってみようとか、ひとつずつ考えながら進んできたのかな。

「うーん、自分では意識しなかったんですけど、韓国のシーンを目標にして頑張っていたときに、韓国のアーティストは作詞・作曲ができるのが当たり前だし、韓国語を話せるのが当たり前だし。そこにプラスαで私に何ができるのかと言ったら、ラップのスキルは分からなかったんですけど、日本語が話せるし英語も分かる。それで目標を日本のシーンに切り替えたときに、自分の強みが見えたんですね。日本の音楽シーンで韓国語と英語が分かるアーティストなんていないよ、女性ラッパーなんていないよ、って言われるし。運命が味方してくれたのかな。だから、恵まれていたのかなって、最近気づいて。小学生のときの自分に、拍手を贈りたいですね」

──あと、ちゃんみなさんの、言いたいことを率直にリリックに書く覚悟と技術って、どんなふうに身についたんだろうって思うんですよ。

「逆に、嘘がつけないんですよ。作り話ができないんです。だから、性格悪い部分が全部見えちゃう(笑)」

──以前の“Princess”という曲にいじめを受けた経験を書いていて。ちゃんみなさんの場合は、それを言わなきゃ始まらないんだよっていうスタンスだと思うんです。それって、どんなふうに培われたんだと思いますか。

「えーっ……ヤンチャだった頃じゃないですかね、やっぱり。中学生のときにちょっとドロップアウトしたんですけど、そのときに学ぶものが多くて。礼儀だったり、人に対する変な正義感だったり。喧嘩してマブ、みたいなのがあるじゃないですか(笑)。正直であることが礼儀だし、っていうのを学んだんですよね……でも私は、誰かが聴いてくれると思っていなかったので。誰かに向けてというよりは、私を知って、という気持ちが強かったです。今もそうですけど」

──いつ頃から、自分の気持ちを歌詞にしたためるようになったんですか。

「小学校の頃からやっていましたね。作曲は、ピアノを習いながらというのもあったんですけど、ちゃんと形にしたのは高校1年のときです。ちゃんと打ち込みをして」

──じゃあ、気持ちを書くことは、日記みたいな感じだったのかな。

「テスト中に、テスト用紙のはじっこに書いたりして。テスト、分からないから。あと、音符が書けるノートを持ってきて、勉強をしてるふうにして書いたりとか……めっちゃ恥ずかしい話があって、歌詞を書きながら、替え歌みたいなのにハマっていた時期があるんですよ。インストを作って、カバーというかリミックスみたいにして、そのとき好きだった子に向けた歌詞を書いて、渡したりしてました(笑)」

──(笑)。完全にミュージシャンだ。じゃあ、そのときは人に聴かせる気持ちがあったわけじゃないですか。

「ああ、確かに。生まれて初めて、人に向けて書いた歌ですね。初恋の人です、たぶん」

今しか書けないことだし、過ぎたら絶対に書けないようなことを、書こうとしている


──『未成年』という作品タイトルには、若い世代としてのこだわりが込められていたと思うんです。20歳を迎えて、新しい意識を持たなきゃいけないという気持ちがあったと思うんですね。

「そうですね。20代だと他の人と同じ土俵で、10代なのにすごい、がなくなっちゃうから。でも、一生尖っていたいです。ずっと何かに反発していたいですね」

──そこに立ち向かう武器として、ずっと音楽があったのかな。今まで、音楽を作ることが、慰めや癒しになったところはありますか。

「汚い話になるんですけど、膿を出す感じ。溜まっていたものが、曲を作ることによって発散されるというか、言いたかったことをそこでやっと言える、という感じですね」

──移籍して、9月に配信リリースされた“Doctor”はまさに溜まっていたものを発散する曲で、世の中の平均化された価値観に対して抵抗する曲だったと思うんですけど。

「今2018年で、その前にも何万年も人類の歴史があって、そりゃあ同じ物が増えるじゃないですか。私は仕方がないことだと思うんですよ。で、インターネットが普及してから、みんなの怒る沸点が低くなっている気がするんです。それが若い人たちだと、余計心配になるんですね。そんなに怒ってたらブサイクになるよ、って。直接伝えられない人が多いし、撮影OKなライブだとスマホの画面越しに見てるし。せっかく来たんだから体感して欲しいし、一番いい画質なんて、絶対自分の目じゃないですか。だから、沸点が低くなっていることをみんなが怖がっていて、流行っているもの、長いものに巻かれようとしている人たちが、特に日本には多いと思います。ちょっとでも違っている人がいると、キモいとか、頭おかしいとか言われるじゃないですか。歌詞の中でも、《嘘ばっかのTwitter/みんな自称ヒーロー/嫌気がさすよ日替わり悪役/今夜の餌食はお前だ》って言っているんですけど。今は、一般の人でもそのターゲットに成り得るんですよ。身内でちょっとおもしろい動画を上げようと思ったら、何万リツイートもされたり」

──顔の見えないところで言いたいことを言う人っていっぱいいるけど、ちゃんみなさんは人前に立って言いたいことを言うでしょ。それはなぜ?

「もともとリーダー気質だと思うんですけど、私の人生のスタート地点、性格が覚醒されたのは、たぶんいじめに遭ったことが原因だと思います。当時は日本語が話せなかったり、理由は分からないですけど。そのときに、まず自分がされて嫌だなって思うじゃないですか。その先に、自分がして嫌だなって気づいて、優しくされないことより、優しくできないことのほうがしんどいなあって、思うようになりましたね」

──違っていることを理由に、人が人を攻撃する。ちゃんみなさんは、そこでどう対抗したらいいかを考えたんだろうね。“Doctor”はまさにそういう曲だと思う。

「うん、そうですね。ちゃんみなは、そこから始まっていると思います」

──なるほど。そして新曲“PAIN IS BEAUTY”は、私はこういう理由で孤独だった、という過去を振り返って丹念に説明した曲で、“Doctor”と繋がってとても大きな物語が描かれていると思うんですが、今、これを伝えたいと思ったのはなぜですか。

「“Doctor”は、みんな一緒でつまんないなあ、嫌われるのが怖いんだね、みたいな曲で、“PAIN IS BEAUTY”は、人と違ってもいいじゃん、コンプレックスを愛そうよ、という曲なんですけど、もともと20歳になったタイミングで、節目としてこういう曲を出したいと思っていて。座右の銘的なものが“PAIN IS BEAUTY”だったんですね。私が身をもって体験した、本当にそうなんだよ、というテーマだったし。1ヴァース目はどちらかというと昔の自分や今の自分に言っていることで、2ヴァース目になって《戦ってみせてよbaby/疲れたらここにおいで/そう大切な人達にそんな歌を歌っていたい》って言っているのは、ファンの人たちがいるからこそ歌えることだと思います。曲を作るにあたっていつも大事にしていることは、今しか書けないことだし、過ぎたら絶対に書けないようなことを、書こうとしているので、ファンの子たちに語りかけるのは、今だったのかなって。でもそれは、自分に言っていることでもあります」

──まさに、今おっしゃっていた歌詞の部分なんですけど、もう、ちゃんみなさんがドクターになってるんですよ。

「あははは、はい」

そのときやりたいことを、真剣にやればいいのかなって思います。音楽は音楽なんで。ロックなこともやってみたいです


──誰かに助けを求めていたのが“Doctor”なら、それを自分で引き受けているのが“PAIN IS BEAUTY”で。そういう覚悟の歌だと思うんですね。

「私、本当に愛されていて。ファンの子たちや一緒に働いてくれている人たちに、どう返したらいいんだろうって思ったら、私なりの覚悟をして……覚悟ってほどでもないんですけど、私が存在していて嬉しいと思ってくれるんだったらそれが嬉しいし、それを本心で思っているんだなって気づいて、そういう歌詞が生まれたんだと思います。シンプルなラップとか、エモい曲調というのは、私はこういう音楽が好きなんだ、と思ったきっかけの曲調でもあるんですよ。いわゆる原点みたいなもので。だから、《疲れたらここにおいで》っていうのは、自分に向けて言っていることでもあるんです。疲れたらこの曲を聴いて、原点が大事だってことを、いつかの自分に気づいて欲しい。そういう、ファイトソング的な曲でもあるんです」

──やっぱり歌がね、すごいなと思います。アルバム『CHOCOLATE』を聴いたときにも、あ、シンガーとして本当にすごいんだな、って思いましたけど。

「“PAIN IS BEAUTY”のサビのメロディが、超高いじゃないですか。死ぬかと思いました。自分で、なんでこんなメロディ作ったんだろうと思いながら、歌入れしていたんですけど。次の日から、花粉症とか風邪もあって、声が出なくなったんですよ。ワンマン前に本当にヤバくて」

──それほどのメロディを書いて、歌わないと気が済まない、というところはありますか。

「ありますね。できないとか、ないから! みたいに思って(笑)」

──じゃあ、今後のちゃんみなさんの表現スタイルとしては、どうでしょう。歌に力を入れていきたいんですか。

「うーん、そこは縛られなくていいのかなと思っていて。そのときやりたいことを、真剣にやればいいのかなって思います。音楽は音楽なんで。ロックなこともやってみたいですし。私が超インスピレーションを受けたアーティストが、アヴリル・ラヴィーンなんですけど、彼女がずっと若い感じとか、ずっと自分を貫いている感じが好きだな、と思って。そういう曲をやってみたいですし、クラシックとかも作ってみたいです。やりたいことは一杯あるんですが、タイミングなのかなと思って。じゃあ最終的にこれをやりたいから、今はこれをやるべきだなとか、カードゲームをしている感じです、今」

“PAIN IS BEAUTY "



リリース情報

配信限定シングル “PAIN IS BEAUTY”2018年11月30日(金)

ライブ情報

『THE PRINCESS PROJECT 3』
◆日程・会場:
2019年3月17日(日) 大阪・Zepp Namba 
 開場17:00/開演18:00
2019年3月29日(金) 東京・Zepp Tokyo 
 開場18:00/開演19:00

◆チケット
全自由 ¥4,800-
U-18チケット ¥4,300-(当日公的身分証確認)

提供:WARNER MUSIC JAPAN
企画・制作:ROCKIN’ON JAPAN編集部