その締めくくりとしてリリースされる新曲が“素晴らしき世界”だ。クレバーにシーンを俯瞰視しながら自問を怠らない真摯さと、奥底でメラメラと滾らせる反骨心を思えば、そのタイトルが手放しの肯定を意味しないことは容易にわかる。その一方で、これまで退廃的でざらついた描写の数々に一片の前向きさを忍ばせてきたのもまたTOOBOEの作風だ。
“素晴らしき世界”とカップリング“目眩”を通して、彼が「世界」に送る眼差しと音楽観、人生観、そしてこれから目指す姿についても掘り下げるインタビューになった。
インタビュー=風間大洋
──ここ1年ほどはトピックも多々ありましたね。おもちゃ箱みたいに変な曲がいっぱい集まったものに対して、馬鹿馬鹿しいみたいな意味で『Stupid dog』って仮タイトルをつけたら、すごく輪郭が見えた
めちゃくちゃありますね。アルバムをメジャーで初めて出して、7会場のツアーをやったり。それは大きかったです。
──もともとかなりの曲数を発表している中で、『Stupid dog』はどういうモードで挑んだアルバムだったんですか。
メジャーに行っていちばん変わったのは、やっぱりタイアップがついたことだと思うんですけど。それこそ一発目のタイアップがアニメ『チェンソーマン』というデカいものだったので、そこで知名度が跳ね上がったときに、ぬるま湯って言ったら変ですけど、今までのスキルでちょっとずつやってきたことが知名度と合わなくなる瞬間があって。ありがたいことに“錠剤”はいい曲だと各所で言われたんですけど、僕としてはまだまだできたなと思ったし、『チェンソーマン』に参加した他の11組のほうが全然クオリティ高えなと思う中でのリリースでした。だから、自分のスキルで出せるものの限界をもうちょっと広げて頑張らないとと思ったのが“錠剤”以降で、それこそ“往生際の意味を知れ!”とかは“錠剤”でできなかったことを録り直したりして。そのあとの“fish”では、単純に美術館のCMソングっていうのをやったことがなくて。
──珍しいケースですもんね。
そうなんですよ。どうやるんだろう?って、自分の引き出しに期待しながら作ってました。その間でちょっとラフなノンタイアップの曲も作ってアルバムに向かったんですけど、そういう意味ではバラバラな曲ができちゃうし、“錠剤”と“fish”のように本来は相容れないものもある。そういうおもちゃ箱みたいに変な曲がいっぱい集まったものに対して『Stupid dog』という、馬鹿馬鹿しいみたいな意味で仮タイトルをつけたら、すごく輪郭が見えたというか。そうやってまとめていったアルバムでした。
──以前とはマインドも変化しました?
ある程度人に知られてからの立ち振る舞いはめっちゃ気にしましたね。もう好きに曲を作って出してても仕様がないかなっていう。僕はもともとボカロのアルバムを3枚くらい出していて。そこからTOOBOEを始めるんですけど、3枚目の時点で当時やりたいことはほぼやった感覚になっていて。“錠剤”前くらいまでは結構出涸らしではあったんです。あんまり自分で言いたいことがないタイプなので、原作とかテーマをもらって作るほうが本当は好きだし、自分のクリエイティブにも合ってるんですよね。そういう原作への解像度を求められる作業が増えたのは嬉しくて。
──お題に向かって取り組むこと自体がインプットになって、新たな着想を得たりもしそうですね。
めちゃくちゃあります、それは。原作になぞらえたものを作っていると、一回自分の好きなものを作ってみたくなるという反復はずっとあって、地続きな感じはします。作ってきたものの逆張りで音楽をやっているので、ひとつの曲が跳ねたらそれと同じものは作りたくないから次のシングルは逆に行って、そのまた逆に行ってを繰り返していて。
──作品そのもの以外の部分、立ち位置や見え方の部分でもTOOBOEさんは独特なスタイルを確立していると思っていて。たとえばボカロ出身を公言してボカロ曲も作り続けながら、ビジュアル面の打ち出し方はバンドカルチャーに近かったりとか。ボカロだからとかバンドだからとかっていう分け方を、今の若い子たちはしない気がして。そもそも境界線はなくなってきてる
うんうん。
──そういう既存のイメージを覆すアーティスト像ってどこまで自覚的に作ってきたんですか?
結構意図的ですね。極論を言うと、TOOBOEを始めたときからボカロで知ってくれた人はもう知ってくれていて。あとはついて来るか来ないかの問題になるのは理解してたけど、無理には捕まえなくていいと思って、あえて邦ロック的な振る舞いをしてたんですよ。ただ、自分で歌いつつもトラックの部分でボカロ的なものをもう一回出してみたり、引いてみたりはしていて。“錠剤”はボカロのガチャガチャポップを出しているんですけど、“往生際〜”は引いている。さっきの逆張りの話じゃないですけど、ふるいにかけたり新規をつけたりは意図的にやってます。ただ、どっちにも属さないっちゃ属さないので、そこはいまだに苦労はしますね。難しい立ち位置ですけど、そこの玉座は今空いてるから。座って待っていれば、世間がそこを向いたときにひとり勝ちできるんじゃないか?と思って耐えているところです(笑)。
──ボカロカルチャー誕生からの何年間かで出てきた人たちと、そこは決定的に違いますよね。ボカロに立脚したままフィールドを広げるか、切り替えてポップスシーンに打って出るかがほとんどだったから。
極論言うと、ボカロだからとかバンドだからとかっていう分け方を、今の若い子たちはしない気がして。当時のボカロを聴いて育った子が今バンドをやってたりするし、そもそも境界線はなくなってきてると思いますね。
──ある意味そういう時代の流れを象徴するものでしょうね、その玉座は。
そこに行けたらいいなって思ってます、本当に。
──そういう姿勢だからこそロックフェスにも「ニコニコ超会議」にも出て行ける。
作りながらもライブしながらもそこはずっと意識していて。ボカロPから歌うようになる人って、歌謡曲とかJ-POPの歌心、歌で人を惹きつける能力があまり育ってない人もいる気がしていて。僕は歌謡曲が好きで50年代から90年代くらいのヒット曲をめちゃくちゃ聴いてきているから、歌の力は同世代よりも理解しているつもりなんです。僕が生まれてない時代のヒット曲を聴いても、売れたんだろうなってわかるオーラが歌にあるってすごいし、やっぱり「歌は人なり」なんだと思う。歌謡曲のテイストとかメンタルは日本人にとってすごく大事で、そこに対する知識とか素養はあるつもりです。たとえボカロっぽかったとしてもJ-POPらしいポップネスはなくさないように作ってます。
──それはメロも歌詞も含めて?
そうですね。ヒット曲のサビの1行目とかって、「そのメロにその文章しかないよな」っていうくらいの正解を叩き出していて。僕がシングルで出している曲もハナからそのつもりで、たとえばラーメン屋とかの小ちゃいBGMでも人を惹きつけられるような歌心を大事にしているというか。