桑田佳祐、ソロに刻んだ、挑戦と解放の35年を語る――最新ベストアルバム『いつも何処かで』から、今こそ感じる音楽家としての幸せまで、その胸中に迫るロングインタビュー

桑田佳祐、ソロに刻んだ、挑戦と解放の35年を語る――最新ベストアルバム『いつも何処かで』から、今こそ感じる音楽家としての幸せまで、その胸中に迫るロングインタビュー

ソロになって“悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)”っていう曲を出すんです。僕も悲しかったんですよ、あの時。バランスの取れない歯がゆさとか、世間から見られてることとちょっと違うなって

――ソロ活動を始めることになる前に、KUWATA BANDがあるじゃないですか。その流れの前提として、サザンの『KAMAKURA』という、日本ポップミュージック史上に残るような巨大なアルバムを作って、「この先どうするんだ」っていう気持ちになったんだと思うんですよ。

「作品だけでなく、人間関係とか、見られ方とかね。『KAMAKURA』の頃は僕らも30になってないかぐらい若いですから、そこまで来るといろんなことが手に余るというか。KUWATA BANDって名前にするつもりはなかったんだけど、他の人と組んで、本来自分が求めていた音楽とか人間関係から逃げたかったのかもしれない」

――KUWATA BANDの時さ、スタジオに会いにいったことがあったんだけど。

「はいはい、覚えてます。渋谷さんが来てくれたの」

――ああ、インディーバンドなふりがしたいんだなっていうか(笑)。

「ああ、それはあったのかもしれないね。それから、KUWATA BANDをやったその次の年にソロになって“悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)”っていう曲を出すんです。初めて出すソロの曲が“悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)”って、ちょっと地味だなあっていうふうには僕も思ったし、反対もされたんですけど、僕も悲しかったんですよ、あの時いろんな意味で。そういうバランスの取れない歯がゆさとか、年齢差ゆえとか、世間から見られてることとちょっと違うなっていうのが。今でもありますけど、世間の目みたいなものを意識した時に――生意気に意識してたんでしょうね。なんか違うこと思われてんだよなあっていう。世間、それからサザンというバンド仲間からも。そういういろんなことが悲しいから、逃げたかったんですよ」

――だからKUWATA BANDをやって、ある程度自信をつけたんだと思うんだよね、「ああ俺、ひとりでもいけるぞ」って。

「ああ」

――で、“悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)”でソロを作って、『Keisuke Kuwata』という、ある意味非常に私小説的なアルバムを作るわけじゃないですか。ほんとにいいアルバムだった。周りからもすごく評価されたし、売れたし。それはある意味、桑田くんとしては救われたというか。

「そうですね。サザンを離れたってことは、ひとつの、違う経験をするわけですよね。違う価値観みたいなものを新たに見出すわけで。時代の勢いもあったと思うんだけど、いいところに運よくいられたなあというか」

――それを吸収するスポンジとしての桑田佳祐はすごいんだよね。なんでも貪欲に食っちゃうんだよ。

「食っちゃうね!」

――すごいよね。「おお、うまいうまい!」って、どんどんどんどん栄養にしちゃうっていう、そのエネルギーが。だから最終的に、僕の分析だと、桑田佳祐っていうのはほんとに自信があるんだなあという。自信がないとよく言うけども。結局自分の価値そのものは全然動じないという自信があるから、どんどん食べていっちゃうんだよね。

「食べていっちゃうね。うん」

――そのあとのソロの『孤独の太陽』というアルバムは、すごくインナーワールドというか。桑田佳祐は、自分の母親の死と向き合って、それを乗り越えなくちゃいけないという、人生の厳しい局面に立つんだけども。その時に、やっぱりサザンしかなかったらとってもきつかったと思うんですよね。

「そうですね。サザンオールスターズが、78年デビューで85年の『KAMAKURA』ぐらいまでで明らかに止まって。じゃあこれからどうしようかっていろいろ試行錯誤したひとつがKUWATA BANDだったり、ソロの『Keisuke Kuwata』だったりするんですけど。それからまた88年にサザンとして帰ってくる。そういう中でサザンオールスターズ以外のメンバーとも一緒にプレイすること、音楽を作ることが、サザンの内部にも入ってくる。それが『世に万葉の花が咲くなり』だったりしたわけですよ。それなりにいろんな音楽的な欲があって、なんでもできるんだっていう自信もあったと思うんですけど、もう振り切っていけるという時期があって。サザンに対しては僕はそういう割り切り方でね、もとのサザンではなくて、ある種プロの集団じゃないけど、プロの力を借りた集団としてのサザンということをやろうとしたんだと思うんですよね。だけどまた悲しくなって。悲しくなるとソロだったのかもしれない。『孤独の太陽』は、『もういいよ、ひとりにしておいてくれ』っていうような、センチメンタリズムみたいなものがいっぱいだなという感じはしますね」

中和されるといいんだけど、やっぱりどこかでサザンはサザンだし、桑田は桑田だしね。どこかで、困った時はサザンの桑田でいいや、そういうズルいところはあると思うんです

――で、『ROCK AND ROLL HERO』が出る2000年代初頭。ここで“波乗りジョニー”“白い恋人達”っていう、ものすごいミリオンヒットが出るわけですよ。いい意味でソロとサザンのテリトリーの区分けがこのあたりから溶け出していって。

「『なぜサザンと並行してソロもやっているんですか?』みたいなことを取材で訊かれたりとかもしたし、たぶん『もうちょっと説明してくれよ』っていうのもあったと思うんだよね。その辺の説明や棲み分けをいちいち説明するのは難しいけど、ひとつの衝動であったり、些細な事情だったんですよね。だけど、聴いている人たちもそういうことは感じていたと思うんです。そこで『サザンがよかったなあ』って言われた時に、またひとつ、火が点くんですよね、逆に」

――だから、今度はサザンで『キラーストリート』を出すんだよ。これだけすごいアルバムを作れたというのは、「あ、ここでほぼ中和されたのかな、ソロとサザンが」という印象を僕は持ったんですよ。

「中和されるといいんだけど、やっぱり僕の中でもどこかでサザンはサザンだし、桑田は桑田だしね。そこは僕もズルいんだけど、どこかサザンに寄りかかってるとこはあって。どこかで、困った時はサザンの桑田でいいやっていうかね、そういうズルいところはあると思うんです。自分もある意味サザン依存症ですよ。昔はサザンかソロかって言われて、『いや、だからそれは違うもんだ、僕には僕のあれが』って。でも別に、僕はサザンに不満もないし、ソロじゃなきゃできないことっていうのもなくて。だんだん、人がなんと言おうと自分はサザンの桑田だし、どっちでもいいやって気持ちにはなってきたんですよね」

――それ! それなんだよ。今回はその結論をもらいたいインタビューで。結局どうして溶解したかっていうと、ソロでも必死になり、サザンでも必死になり、どんどん両方とも必死になれている自分が、ちゃんと設定できたというか。

「ああ」

――依存はしていないと思うけど、サザンモードの時とソロモードの時というのがあって。でもそれがだんだんなくなって、「どっちだっていいじゃん、どっちも桑田佳祐がやってるんだから」って。

「だけど、依存してるんですよ。自立してないもん、どこかで。ROCK IN JAPANに出る時も、なんとなく、サザンというひとつの流れがあって。そこでなんとなく、不埒に出ていくっていうのが、いちばん出やすい形なのかもしれないし。『体張って出てきました!』とか、それはやっぱりちょっと自分にはできないし、似合わないのかもしれないよね」

――だから、変なレトリックに聞こえるかもしれないけれども、サザンに依存しているって言えるようになって、自立したんだよ。

「いや、ほんとそう言っていただくとあれだけど、自立はしていないと思います。僕、原さんからも自立したいですもん(笑)」

――ははははははは!

「嫌われたくないしね? いろんな意味で、やっぱりどこか頼りにしてるし。そういうところはしかたねえかというふうに思いながら、苦しむこともなくやってますよね、今」

――今、66歳にして、傍から見ると、ミュージシャン人生でいちばん幸福な時期を迎えている感じがします。

「あまり考えたことはなかったけど、そういうふうに言われてみると、ちょっとウキウキしますね。自信が湧いてきますね」

――だってそういうネガティブな悩みないじゃん、後ろ向きな。

「やっぱり面白いことがあるからでしょうね。歳は関係なく、子どもでいられるっていうんですかね。そのまんま成長しない部分をずーっと保てるっていうのは楽しいですよね。自分で演出するってことじゃなくて」

――だから、その心情を持ち続けられるって、すごいことだと思いますよ。

「ええ、ほんとにおかげさまで。あとは渋谷さんの言うように、歳をこれから取るんですけど、70の自分がどんな歌を作るか、ね?」

――そう。それを楽しみながらやれたら、絶対いいものができると思うんです。

「ええ」

――で、桑田くんはやると思う。

「どうですかねえ……」

――間違いなくやると思います。じゃあ、今日はありがとうございました。

「どうもありがとうございました」

【JAPAN最新号】桑田佳祐、ソロ活動に刻んだ、挑戦と解放の35年を語る
ソロになって“悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)”って曲を出すんです。 僕も悲しかったんですよ、あの時。 バランスの取れない歯がゆさとか、世間から見られてることとちょっと違うなって 現在発売中の『ROCKIN'ON JAPAN』12月号表紙巻頭に桑田佳祐が登場…
【JAPAN最新号】桑田佳祐、ソロ活動に刻んだ、挑戦と解放の35年を語る
次のページMV・リリース・ツアー情報
公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

最新ブログ

フォローする