ザ・ポリス @ 東京ドーム

2008年最初の超ビッグネームの来日公演と言っていいだろう。前回来日から実に27年ぶりに日本の地を踏んだザ・ポリス。東京ドーム初日の今夜のチケットは発売と同時にソールドアウトで、アリーナちょうど中腹辺りの席からぐるりと360度見回してみると、オーディエンスは見事に30代後半〜40代前半のリアルタイマーが大半を占めていることが瞬時に確認できる。日本において洋楽が最もメジャーだった80年代前半に青春を過ごした人達にとって、このポリスというバンドはあまりにも巨大で特別な存在なのだろう。

昨年5月にスタートしたポリスの再結成ツアーは世界各地でセンセーションを巻き起こしていて、様々なニュースやレビューを事前にチェックしていたのだが、その全てがスティング、アンディ・サマーズ、スチュワート・コープランドの演奏力が超現役であること、そしてセットリストがいやらしいほどに完璧であることを伝えていた。実際、今夜もそんな事前情報を裏付ける、とんでもないライヴだったと言える。

今回の再結成ツアーのセットリストは究極の18曲で構成されていて、基本毎晩同じ曲目が同じ曲順でプレイされる。“孤独のメッセージ”で幕開けた冒頭の演出は至ってシンプルで、スクリーンも作動しなければバック映像も無く、だだっ広く殺風景なステージに3人がさくっと現れ、いきなりとんでもなくタイトな出音で満場のドームの度肝を抜く。そして2曲目“シンクロニシティ?”に至って、ステージを囲むスクリーンに赤、青、黄の所謂「シンクロニシティ・カラー」が鮮やかなペイントのように飛び散り、一気にゴージャスなスタジアム公演の雰囲気へと転じていく、という仕掛けだ。

そこから2回のアンコールを挟んで最後の“ネクスト・トゥ・ユー”まで、総プレイ時間はおよそ2時間。その間、目の前で繰り広げられている異常な光景を私はただアングリ口を開けて眺めることしかできなかった。一体なんなんだ、これは。とても23年ぶりに再結成を果たしたバンドとは思えない。23年のブランクを埋め、3人のケミストリーを再び復活させるための試練だったり、葛藤だったり、もしくは再び活動を共にする喜びだったり。そんな難儀な復活のプロセスや人間臭い感情の揺らぎやが、ステージ上の3人の演奏には全く感じられないのである。むしろ絶頂期に活動を休止したポリスが今、時空をワープしてその絶頂状態のまま、ここに現前しているような錯覚すら覚える。

ちなみに、ステージ上のスティングはこのクソ寒い2月の日本で頑なにセクシーなタンクトップ姿である。隣のアンディ・サマーズはヘンな柄のセーターを着ている。そしてスチュワート・コープランドはヘッドセットマイクとヘアバンドを装着して自分達のバンドTを着ている(銀縁メガネでロマングレーな風貌に、それが全く似合っていない)。つまり、服装ひとつとってみても現在の3人は全く相容れない人種であり、ポリスの活動休止後、彼らが全く異なる人生と思想を選び取ってきたことが分かる。なのに、そんな3人が叩き出す音は完璧なアンサンブルによって制御され、完璧な抑揚と間とブレイクを当然のように繰り出していくのである。

アンディのギターがポリス特有の「引き算」の空間設計、つまりレゲエやアフリカン・ビートの軸になっている。スチュワートはドラム・セットと銅鑼を含む様々な打楽器の間を忙しく行き来しながら、ドライでハードでパワフル、そして緻密なリズムを次から次へと編み出していく。そしてスティングの艶張り共に文句なしのヴォーカルは、ずっとショウビズの最前線で戦ってきた男のタフネスを象徴している。そんな3人が合体するのだ。凄いに決まってるじゃないか。

個人的に最大のカタルシスを感じたのはスチュワートが銅鑼や鉄琴、幾種ものパーカッションを現代音楽さながらに叩きまくる“アラウンド・ユア・フィンガー”の超アヴァンギャルドから、間髪いれずに“ドゥ・ドゥ・ドゥ・デ・ダ・ダ・ダ”の超ポップ&キャッチーなアンディのリフへとリレーされた瞬間だった。見事なギャップ、見事な切り替え、そして3人は見事に平常心。ほんとになんなんだ、このバンドは。(粉川しの)
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