開演前から薄暗い会場にフリップ&イーノらしきエレクトロ・ノイズが鳴り続けている。ほかのあらゆることと同様、このBGMもFKAツイッグス自身が選曲しているのだろう。すでに会場は彼女の世界観に支配されている。
会場が暗転し、エレクトロニックな打楽器音が鳴り響いて、逆光でシルエットになったFKAツイッグスがスリムな肢体をくねらせながら歌う。表情はまったく見えない。なので月並みなエロティシズムを超越した、固有の人格や記名性を剥ぎとったオブジェのようなしなやかな肉体のフォルムだけが空間に溶け込むように躍動している。圧倒的に美しい。そして新しい。歌って踊るだけなら誰でもできる。FKAツイッグスはその両者が完璧に一体化したアート・フォームとしての肉体表現を獲得している。インカムをつけた新人歌手ケイト・ブッシュがくねくねと踊りながら天使のようなハイ・トーンで歌った東京音楽祭(1978年)での“Moving”の衝撃が蘇ってくる。
バンドの3人はすべて電子パッドを叩く。つまりメロディや和音を担当する楽器がない。といって歌もまた、ラップでもなく、朗々と歌い上げるというようなものでもない独自のスタイルだ。パーカッションの破裂音、断片的な電子音だけが飛び交い、漂うように呟くボイスがゆらゆらと空間を浮遊している。つまりそこに従来の歌と伴奏、ヴォーカルとバックトラックという概念はなく、声が楽器、というよりはSEのように音響空間を構成し楽曲のフィーリングを演出する一要素として鳴っている。そんなアブストラクトでエクスペリメンタルな音響構築なのに、それが紛うことなきポップ・ミュージックとして堂々と大衆性を獲得している。それはまさに音響の概念が古典的な楽曲形式を超越したテン年代ならではの光景であり、ポップ・ミュージックの概念を更新しかねないインパクトがあった。逆光とスモークでアーティストの姿が完全に消失し、ただ震えるような声だけが空間に響き渡った瞬間の幻想的な美しさは筆舌に尽くしがたい。
そしてパーカッションを叩いていた2人がそれぞれギターとベースに持ち替えて、和音とメロディが演奏にもたらさることで、それまでのストイックで無駄のない音響は一気に豊潤な広がりと奥行きと色彩を放ち始める。ここがこの日のハイライトだったと思う。
ヴォーカルもダンスも演奏も音響も照明も演出も、なにかもが規格外の別世界だった1時間余。新鮮なアイディアと創意工夫と実験精神が横溢していた。素に戻った彼女が観客に語りかける時の少女のような初々しさと、歌って踊る時の完璧なフォルムとのギャップがたまらない。実は前日に対面取材したのだが、そこでの気丈かつスマートな堂々たる受け答えぶりも含め、ポップとアートの最前線で戦っている女は、いくつもの顔を見事に使い分けるものと感心した。(小野島大)
[セットリスト]
1. Preface
2. Ache
3. Lights On
4. Give Up
5. Water Me
6. Pendulum
7. Numbers
8. Hide
9. Video Girl
10. Kicks
11. Papi Pacify
12. Two Weeks
13. How's That
FKAツイッグス @ LIQUIDROOM ebisu
2015.01.22