いやあ凄かった。凄い体験だった。
元バトルスのタイヨンダイ・ブラクストンがやってきた。現代音楽/実験音楽に大きく接近した<ノンサッチ>からの新作『ハイヴ1』を引っさげての来日である。迎え撃つのはボアダムスのEYヨ、そしてDOMMUNEの主宰者でもある映像作家の宇川直宏。日米の先鋭的表現者が描く前衛音楽表現の最前線である。
夜8時という比較的遅い時間帯に始まったライヴは、まずはEYヨがDJで登場。ドラマー数十人が同時にプレイする最近のボアダムスのライヴは、ポップ・ミュージックというよりアート・フォームとしての純度やスケールを高めているが、DJ EYヨは比較的わかりやすく快楽主義的なハウス・ミュージックをプレイするという印象だった。ところがこの日はガチなノイズ・アヴァンギャルド・セットで驚かされた。踊れるリズムはほとんどなく、ギチギチに尖った衝撃音やカオスなハーシュ・ノイズ、エスニックなチャントや電子音の嵐。まさしく<ハナタラシ>やボア初期を思わせる暴走ぶりで、おそらくは場にあわせ、彼のルーツをたっぷりと披露したということだろう。いつになく楽しそうなEYヨの様子が印象的だったが、どうせならボア初期のようにマイクを持って彼らしい獣のような美しいスクリーミングを聞かせてほしかった。
適度に場も暖まり、ほとんどセットチェンジもなくタイヨンダイが登場。EYヨ同様、Macのノートブックを前に置いてプレイするスタイルで、遠目にはEYヨとやっていることは変わらないように見える。とはいえEYヨはDJで、タイヨンダイはライヴ。その違いについて考えさせられたりするうち、宇川のVJによるパラノイアックな映像の怒濤のような反復と、飛び交うレーザー光線、タイヨンダイの手による恐ろしく密度の濃い立体的な電子音響が反響しあって作りだされる狂気の世界に、いつしか飲み込まれていく。EYヨの時もそうだったが、会場の音響が素晴らしく、ローの出方がハンパない。この剥き出しの音の暴力性がライヴならではだ。
タイヨンダイのやっていたのは、おそらくはMacに仕込んだ『ハイヴ1』の音源等を、その場でランダムにカットアップ・コラージュしていく、いわばリアルタイム・リミックスみたいな作業だったのではないかと思う。どこまで事前にプログラミングされていたのか客席からでは計り知れなかったが、一瞬たりとも気を緩めることができない緊迫した緻密な音響構築は、もしその場でのインプロヴィゼーションだとしたら驚異だ。
アブストラクトな電子ノイズ音響が連鎖していくのはEYヨと変わりないが、タイヨンダイはよりリズミックでトライバルであり、ポップで人懐っこいメロディやフレーズ、包み込むようなオーケストレーションも忍ばせながら、あくまでも音楽的に構成しようとしていた。対してEYヨのプレイはもっと音色中心に音響の快楽の生成そのものにフォーカスしていた印象だ。もちろんどちらが上というのではなく、それは両者の音楽観の違いである。どちらも恐ろしく刺激的な体験だった。
宇川のVJは、おそらくは鳴っている音源の強弱や高低に自動的にシンクロして映像を合成・生成していくようなプログラムを組んでいるのだと思うが、音楽との一体感は抜群で、この映像のない他の日のライヴが想像できないほどだった。
今『ハイヴ1』のハイレゾ音源を爆音で鳴らしながら原稿を書いているが、やはりライヴという現場でこそ体験できるものは大きい。そしてどんな形態の音楽であれ、表現には様々な、無限の可能性がある。それを思い知らされた夜だった。(小野島大)
[Setlist]
1. Phono Pastoral
2. Gracka
3. Hooper Delay
4. K2
5. Boids
6. Outpost
7. Oranged Out
8. Galaveda
9. Amolochley
10. Eople
11. Scout1
En1. Green Crap