氣志團 @ Zepp Tokyo

氣志團 @ Zepp Tokyo
氣志團 @ Zepp Tokyo
氣志團 @ Zepp Tokyo
氣志團 @ Zepp Tokyo
最高のライブだった。『氣志團現象2009 MIDSUMMER CARAVAN TOUR 「ON THE STREET」』のセミ・ファイナル……のはずが8月9日にもう1本Zepp Tokyo追加公演が決まって「Zepp Tokyo・3デイズの1日目」となったこの日のアクト。なので、セットリストの詳細の掲載は避けるが、“God Speed You”や“キラキラ”や新曲“木更津サリー”などのパフォーマンスそのもののクオリティも、「こんなもんじゃねえだろ? やっと会えたんだぞ! ペース配分してる場合じゃねえぞ! 氣志團のキャリアの中で最高の夜にしようぜ!」と超満員のファンを煽り倒す翔やんのアジテーターっぷりも爽快なくらいによかったし、“One Night Carnival”のZepp一丸となっての大合唱は、思わず鳥肌が立つくらい壮観だった。が、観ていていちばん嬉しく感じたのは6人の「頼もしさ」だ。しかもその「頼もしさ」は、どちらかと言えば『ライオン・キング』とか『オペラ座の怪人』とかの超人気ミュージカルを観ているような、「これならどんだけでもロング・ランできる!」ということを確認できた嬉しさに近いような気がする。

そもそも氣志團はその「ヤンキー×ロック」というコンセプトと「80sロックと歌謡曲の忘れ形見」という方向性からして、ロック・バンドであると同時にロックンロール・ミュージカル的な芝居がかったテイストと切っても切れない関係にあった。が、本人たちはそのミュージカル感を意図的に身にまとい、武道館に東京ドームに自身開催のフェス(万博)に、とその規模を拡大しながらも、あくまでロックンロール・スターダムの危うさの中に自らを位置づけようとした。翔やん言うところの「1本平均4時間半のツアー」とか、なんだかよくわからないくらい大人数のダンサーとか、メンバー個々のソロ・パートとかの仕掛けの数々も、そのミュージカル感を補強するツールとしてではなく、むしろ逆にその演劇感を全力で上塗りし、あくまで氣志團という世界を「ロックンロールという名のカオス」の中に置こうという、バンド自身の(というか翔やんの)意志の表れだったように思う。

しかし、今日の氣志團は違った。「今日は3年ぶりのケジメってことで、6人だけで来ました! でも、『原点回帰ですね』って言われるけど、俺たち6人だけでGIGやったことって今までほとんどなくて」と翔やんもMCで言っていた通り、4月の武道館2デイズ再始動公演と同様、衣装チェンジや映像などの見せ場はあるものの、アンコールまで含めて終始6人だけでソリッドにやりきったことによって、その1曲1曲に刻み込まれた、時にコミカル寸前のミュージカル感が浮き彫りになっていた。そして……それによって氣志團の音楽世界は、紛れもなくロックンロールとしての訴求力とドラマ性を格段に高めていたのだ。この日の彼らから滲み出していた「頼もしさ」は、空白期間を経てシャープに生まれ変わったバンドの演奏技術によるものだけでは決してない。自分たちを「血湧き肉躍るロックンロール・ミュージカル」として再定義し、メンバー各自が己の役割と向き合い、脚本=曲順を練り上げたからこそ実現し得た強さだ。そこにダンサーやソロ・パートといったギミックは、もはや必要なかったのだろう。

というようなことは、本人たちは微塵も考えちゃいないのかもしれない。「もしかしたら今度はダンサー60人いるかもしれねえし、逆にメンバー2人減ってるかもしれねえし」と翔やんがうそぶいていた通りの、ただの通過点にすぎないのかもしれない。が、「3年ぶりにツアー回ることができました! もう俺たち、どこへも行かねえし、一生一緒にいようぜ!」とか「何回も呆れさせちゃうかもしれねえけど、何回だって惚れ直させてやるから!」とか「3年前はもっとおしゃべり上手だったんだけど、もういっぱいいっぱいだよ。胸がいっぱいだよ!」とかいうあまりに直球な翔やんのMCが割れんばかりの歓声を巻き起こし、それがすべて氣志團という巨大な、しかも新しいドラマの血となり肉となっていくのを目の当たりにしていると、ここからまだまだ超ロング・ラン必至なロックンロール・ストーリーが生まれそうな気がして、今から嬉しくて仕方がないのだ。(高橋智樹)
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