トータス松本@渋谷C.C.レモンホール

トータス松本@渋谷C.C.レモンホール
トータス松本@渋谷C.C.レモンホール
トータス松本@渋谷C.C.レモンホール
トータス松本@渋谷C.C.レモンホール
ウルフルズが休止して初のソロ・ツアー、全14本のラスト、C.C.レモンホール2デイズの2日目。
本格ソロ始動して初めてのツアーだし、オリジナル曲のソロ・アルバムは、こないだ出た『FIRST』だけだし、コンパクトなライブになるかな、と思っていたら、2時間半みっちりやってくれた。

『FIRST』16曲の中から14曲、2003年に出したカバー曲のみのソロ・アルバム『TRAVELLER』から2曲、それ以外のカバー1曲(15曲目。アレサ・フランクリンのバージョンが有名な、古いブルースのスタンダード・ナンバー)、上戸彩に提供した曲のセルフ・カバー1曲(7曲目)の、全18曲。
で、書くべきポイント、あちこちの局面でいっぱいあり。曲順に沿って、「ここであったこと」形式で、書いていきます。
まずセットリスト。

1 はじめに
2 明星
3 いつもの笑顔で
4 涙をとどけて
5 ゴースト
6 ねむらないぜ
7 Honey
8 花のように星のように
9 のぞみ
~インスト~
10 みいつけた!
11 This Little Light Of Mine
12 エビデイ
13 僕がついてる
14 ミュージック

アンコール
15 Mustang Sally
16 I’M YOUR HOOCHIE COOCHIE MAN
17 Hard to Handle
18 夢ならさめないで


開演前
青いビロードのような幕が下りたステージには、その幕の前にマイクスタンドとアコースティック・ギターのみが置かれ、客入れのBGMで、ずっと昭和の古い歌謡曲が流れている。
と、そのBGMがスッと止まり、黒いハットと黒いスーツ姿のトータスが登場。「こんばんは」と挨拶し、手に持ったサンプラーみたいなのからまずリズムの音を出し、その場でコーラスを数小節分歌っては、そのサンプラーみたいなのに録音する、という作業をくり返して自分の声のみを多重録音していき、山下達郎でいうところの『ON THE STREET CORNER』なトラックを作り上げ、それにのっかって“はじめに”を歌ったと思ったら、バンドの音がバーンと入って幕がドーンと落ち、“明星”に突入して、本格スタート。
という、趣向を凝らした始まり方でした。

5“ゴースト”と6“ねむらないぜ”の間、1回目のMC
「あー、最終日やあ。いやあ、感慨深いわあ。初ソロ・ツアーの最終日を、渋谷で飾れて幸せです」というようなMCのあと、メンバーを紹介。
ギター×2(1人は元bonobosのコジロウ)、ベース、ドラム(元ルースターズ池畑潤二)、
キーボード×2(1人は長年ウルフルズのサポートを務めた伊東ミキオ、一人はYUKIやミスチルで活躍する浦清英・サックスも吹く)の、6人編成。「トータス松本&HIS JUKEBOX」という名前だそうです。
「若い人はわからんかもしれへんから」と、ひとしきりジュークボックスとは何か、という説明をしておられましたが、私は若くないので割愛します。

7“Honey”
先にも書いたが、これは上戸彩が今年7月にリリースしたアルバムに、トータスが提供した曲(編曲は浦清英)。
「上戸彩ちゃんの気持ちになって書いた」「モータウンを意識して作った」「上戸彩ちゃんの気持ちになって歌います」という前置きの後、熱唱。シュープリームス“恋はあせらず”のあのリズムの、確かにいかにもモータウンっぽい、軽やかなよい曲でした。
で、続くインストでいったんひっこみ、衣裳替え。

10“みいつけた!”
ここで客席にバルーンが落ちてきて、お客の上をコロコロ転がる。

12“エビデイ”
客席を分けて上のパートと下のパートを歌わせ、自分はまんなかのパートを歌い、ホール全員で三重唱が完成。たいへんよい空気になる。

アンコール
15“Mustang Sally”は、カウボーイ姿&下半身は馬の着ぐるみ(自分の足が馬の前足になってるあれです)で登場。ステージを右往左往しながら、そして馬の首をマイクのコードで締め上げたりしながら熱唱。大ウケ。
続く16“I’M YOUR HOOCHIE COOCHIE MAN”では、デブの着ぐるみ(マフィアみたいなスーツで、中は太った体型になる)を着て口に含み綿(マシュマロかも)をどんどん入れながら歌う。また大ウケ。この曲の本家、マディ・ウォーターズのコスプレ? 違うか。だったらギターも弾くか。
まあ、そのへんのルーツな人たちのコスプレですが、後半はその含んだ綿だかマシュマロだかを吐き出しながら歌い、さらに大ウケしてました。

ラスト
「胸がいっぱいやあ、ありがとう! おなかもいっぱいやー(笑)」「俺は今日のことを一生忘れへんと思う」
というMCをはさんで、17“Hard to Handle”をプレイ、そして18“夢ならさめないで”へ。歌い終わり、ひっこむ。演奏、終わる。と、また曲が始まる。そしてトータス、また出てきて歌う――という、ジェームズ・ブラウンの「マント・ショー」が元ネタの、そう、ウルフルズでも“いい女”で20年以上やり続けたあれ、ソロになってもやっていました。その度にジャケットを着たり、帽子を替えたりしながら、合計4回出てきた。「出てきかた」は、ウルフルズの時とは微妙に変えてたけど、「ソロでもやるんだあ」と、うれしくなりました。
なお、ウルフルズの(とりあえず)最後のライブ、8月30日大阪万博記念公園『ヤッサ!』の時の「また出てきた回数」も、4回だった。
偶然ではないと思う。

その後、メンバー全員で前へ出てきて、手をつないで挨拶。と、メンバーの後方に、天井から数十本の紅白のテープがばーん! と落ちてくる。みんな、マジで驚いていたっぽかったので、知らされてなかったんだと思う。


というわけで。
全体に、ソロ本格始動初のツアーとは、まあったく思えない、やりそこねたこともやり残したこともやれなかったことも全然見受けられない(本人的には実はあったりするんだろうけど、僕にはまったくそう思えなかった)、全力で、全身全霊な、すばらしいとしか言いようのないライブだった。
アルバムもそうだったけど、ライブにおいてもこの人の場合、「なぜウルフルズを休止してソロになったか」という説明が、まったくいらない感じだ。観れば、誰でもわかる。アルバムも、聴けば誰でもわかる内容だった。
自分は、今書いているのとは違う、よい曲をもっといっぱい書ける。しかし、ウルフルズのあのメンバーによる、あのサウンド・フォーマットでは、それはできない。だからソロをやる。それだけだ。
その「それだけ」が、炸裂しているみたいなライブだった。特に歌。1992年からライブを観続けている僕ですら「うわ、すげえボーカリストだなあ」とびびる瞬間がいっぱいあった。

ただし。「ウルフルズではできない曲が書けたから、ソロになった」というほど、簡単な話ではなかった。
ウルフルズを休止すると決める前、ちょっとソロをやってみたら、これまで書けなかったような曲がどんどん書けてしまい、「うわ、バンドという縛りをとっぱらうと、こんなに書けてまうんや」と自分でもショックを受けて、それからいろいろ考えて、いろいろあって、休止を決めた。という側面もあったと思う。

この日、MCでトータスは、満員の客席に向かって、「このツアー、地方は動員が厳しいところがいっぱいあった。広島とかスカスカよ? 1Fの半分しか入ってへんかった」という話をした。

「1人になるってこういうことね」と思ったと。でも、自分に与えられた試練だし、自分がそういう道を選んだんだから、がんばると。空いた客席に気持ちがひっぱられてはいかんと。こんなにいっぱい音楽をやる奴がおる中で、俺を観に来てくれたセンスのいい人たちのために、俺はがんばると。

というような話で、大拍手で終わったんだけど、この「地方は客が入っていない」という話、トータスはブログでも、何度も何度も書いていた。で、この日も言った。
その度に、僕は思うところがあった。というのはですね。
さっき書いた、その「ちょっとソロをやってみたら、これまで書けなかったような曲がどんどん書けてしまい……という側面もあったと思う」っていうこと。それと、このツアーの地方での苦戦ぶりって、たぶん無関係ではないと思うのだ。
それについても、とても書きたいんだけど、もう超長いレポートになってしまっているので、このへんでやめて、続きは私のブログに書きます。ご覧いただければ幸いです。(兵庫慎司)
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