クラクソンズ @ 渋谷クラブクアトロ

クラクソンズ @ 渋谷クラブクアトロ
クラクソンズ @ 渋谷クラブクアトロ - pics by Yoshika Horitapics by Yoshika Horita
クラクソンズが今回の来日公演にたどり着くまでの紆余曲折は、それはもう大変なものだった。デビュー・アルバム『近未来の神話』で一気にブレイクした彼らは本国UKではマーキュリー・プライズを獲得し、ここ日本でも当時(2007年)の新人バンドとしては破格のセールスを記録した唯一に近い存在となった。しかし「ニュー・レイヴ」という彼らの登場のインパクトを決定づけた旗印すら越えた評価を次回作にどう反映していくべきか――悩んだ彼らは一度は完成したアルバムを完全にお蔵入りにし、プロデューサーを変え、最終的にはハードなロック・サウンドの権化と言っても過言ではないロス・ロビンソンと、つまりは彼らの特性から最も離れたスキルを持つプロデューサーとタッグを組み、そして作り上げられた野心作がセカンド『サーフィング・ザ・ヴォイド』である。ここにたどり着くまで、彼らは3年を擁したのだ。

待望の来日、がしかし渋谷クラブクアトロで一夜限り、という贅沢すぎるブッキングだけにチケットはもちろん即完売。ぐるりと会場を見渡してみれば、クラクソンズのライブではお馴染のサイリウムを装備したいかにもなファッションの子もぽつぽつ見受けられるけれども、圧倒的多数はごく普通の、そして熱心なロック・ファンという客層だ。そしてバックライトが激しく点滅する中、クラクソンズは文字通り普通の、そして熱心なロック・ファンのための普遍的なロック・バンドとしての新たな全貌を引っ提げて登場した。

1曲目は新作『サーフィング・ザ・ヴォイド』から“フラッシュオーヴァー”。いきなり重い。シンセの醸し出す浮遊感を間髪いれず地面へと引きずり降ろすようにドラムスが手綱を握っている。続く“アズ・アバヴ・ソー・ビロウ”“セイム・スペース”も同様に、クラクソンズの楽曲にこれまでなかった重力が生じていることが瞬時に理解できるプレイだ。重力とはつまりリアリティであり、音を刻み、配置し、叫び、渦巻く、そのプロセスがどの局面においてもくっきり明確になり、アルバム音源のさらなる具象化がガチボコなテンションで進められていく。これまでのクラクソンズのライブや楽曲にあった「ね、説明しなくたって分かるでしょ?」と言わんばかりのスタイリッシュでクールな音のレイヤー、高度に演出された雰囲気で押し通すような展開は極端に減っている。

サポートからジェネラル・メンバーに昇格したドラムスのステファン、この人の功績(と血のにじむような努力)はあまりにも大きいんじゃないだろうか。フロントの3人に加えて彼がアンサンブルにより積極的に拘るようになったことで、クラクソンズのロック・バンド感が飛躍的に増したように感じた。ちなみに余談だが、後でレーベルの人に聞いたところ、あのサポート・キーボーディストは元ダーティ・プリティ・シングスのアンソニーだったようだ。アンソニー、何気に色んなバンドで大活躍である。

続く“グラヴィティーズ・レインボー”の鋭くスピンするドラムスも半端なくかっこいい。ついでにシンセの音色まで尖っている。新曲“ヴェヌシア”ではミラーボールが回り始める。十八番のファルセット・コーラスとしゃーしゃーと繊細なタッチで折り重なっていくシンセの音色の掛け算が生むうっとりするような上物が、ミラーボールの下でキラキラと輝き始める。ここら辺から『近未来の神話』と『サーフィング・ザ・ヴォイド』のバランス、ダンスとロックのバランス、抽象と具体のバランスがクラクソンズ独自の計算式の中で絶妙に取られていくようになる。最新普遍のロック・バンドになるたるために犠牲にしたかに思われたクラクソンズならではのエレガンスや遊び心が徐々に回復してくるのを感じる。“ゴールデン・スカンズ”、“ツイン・フレイムス”そして“トゥー・レシーヴァーズ”へと至る流れなんて完璧だったんじゃないだろうか。そして新曲“エコ―ズ”こそがクラクソンズの過去と今の最も完璧で幸せな折衷ソングだったことは間違いない。

あと、とにかくこの日はオーディエンスの勢いが半端なかった。コーラスで合唱が起こる。イントロすら掛け声で追いかける。“マジック”のバンドとオーディエンスの掛け合いなんてまるでオイ・パンク・バンドみたいだった。暗闇の中でめちゃくちゃ溜めに溜めての大ブレイクの演出、直後に訪れたフロアのトランス状態は本当に圧巻。アンコール・ラストの“アトランティス・インター・ゾーン”に至っては、ロックでも、ダンスでも、ましてやニュー・レイヴでもクロスオーヴァーでもなく、どこぞの辺境で繰り広げられる原初の秘祭みたいな正体不明のシロモノになっていた。

クラクソンズとは、そもそもライブが課題のバンドだった。『近未来の神話』の頃には「ライブが上手ければもっと上に行けるバンドなのに」とじれったくなるようなライブをやっていたバンドなのだ。しかし今にして思えば、彼らのような音楽性のバンドでライブが課題になるってことはそれだけ志が高かったってことだ。ニュー・レイヴ、クロスオーヴァーと当時そう呼ばれた彼らの音楽性は、ライブで「生」で勝負しなくたっていくらだって逃げ道はあったはずだからだ。

でも、クラクソンズは逃げなかった。逃げなかったからこそ、『サーフィング・ザ・ヴォイド』を作れたのだ。そして『サーフィング・ザ・ヴォイド』を作れたからこそ、こんなにも逞しいライブ・バンドとして帰還することができたのだ。彼らの紆余曲折は無駄ではなかった。近未来に先延ばしされることなき「今」の輝きが、クラクソンズを包んでいた。(粉川しの)
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