フレーミング・リップス/ミュー @ Zepp Tokyo

フレーミング・リップス/ミュー @ Zepp Tokyo
フレーミング・リップス/ミュー @ Zepp Tokyo
フレーミング・リップス/ミュー @ Zepp Tokyo
フレーミング・リップス/ミュー @ Zepp Tokyo - pics by TEPPEIpics by TEPPEI
単独公演としては7年ぶり、である。2009年のサマーソニックではSonic Stageのトリを務めていたとはいえ、フル・サイズのライブ・パフォーマンスを拝めるのは久方ぶり。おまけに、彼らにしてみれば新章へと舵を切った意欲作『Embryonic』発表後のツアーである(サマソニのときは、『Embryonic』から数曲演奏してはいたものの、ライブの中心ではなかった)。誰にも実現しえない多幸感あふれるライブ空間がリップスの代名詞ともなって久しいが、『Embryonic』というアルバムは、そうしたリップスの肯定性をより深く抉ることをテーマにしていたアルバムだ。自ずからそのステージは変化するものと踏んでいた。

さて、今回の来日は、なんとも贅沢なことにオープニング・アクトをミューが務めるというギフトつき。自身の単独ツアーをここ日本で軒並みソールド・アウトさせてきた彼らデンマークの貴公子たちのステージも、「ドリーミー・ポップ」というちょっとばかし無理くりなくくりでこのカップリング・ナイトを表せば、大御所のリップスを向こうに回しながら堂々としたもの。バックにしつらえた巨大スクリーンに氷河や幾何学模様を次々に映し出しながら、光の演出を巧みに絡ませ、構えのたっぷりとしたモダン・ギター・ロックの叙情性を爆発させていた。なにしろ1曲目に新曲「Do You Love It」をもってくる、そんなヨーナス君に「キレイ目男子のひねくれ」を見た。

しっかり1時間を演奏したミューを終えると、舞台はオレンジ色のつなぎを揃って着用した「リップス・スタッフ」たちによっていっきに文化祭ムードに。リップスの場合、ご承知のように実にさまざまな大道具小道具が必要なものだから、その搬入・セッティングが大急ぎで行われる。というか、その様はもうすでにリップスのステージの一部である。慌しく動き回るスタッフを見ているだけでうれしくなる。すると、さくーっとウェイン・コイン先生がステージに現れるものだから、大歓声である。軽く手を上げて、観客に応えるウェインのこの笑顔は・・・これも、いつ見てもいいものだ。すると、ウェインが日本人の通訳とともに、ライブの注意点を説明し始める。まずは「演出上ストロボがかなり激しく明滅します。観ていると、場合によっては気分が悪くなるかもしれないので、その際は下を向くとかして引き続き楽しんでください」ということ。もうひとつは「これから私はスペース・バブル(あの、ウェインが中に入る、大きな透明のバルーンのことです)に乗って、みなさんの頭上を遊泳します。ですが、その際、急に集まったりして前の人を押したりしないでください。わたしはみなさんの元にまんべんなく参りますので、ご安心を」という、2点の注意。観客、大歓声。もう十二分に準備は整った。さあ、フレーミング・リップスがあなたの手をとって連れて行く、大冒険の始まりである。

ウェインがソデに引っ込み、ひと呼吸置いて会場が暗転。ステージいっぱいに設置された半円形のビジョンに、裸体の女性のシルエットが映し出される。ドラッギーな原色のグラフィックの中で踊っていた女性はやがて腰を下ろし、両足を客席に向けて開いていく。ズーム・アップしていくにつれ、中心に大写しになる女性器(あ、何かモノが映っているわけではありませんので、PTAとか、そういった方々はご安心ください)が激しく明滅する。その前に、リップス・スタッフがスロープをセッティングする。やおらスクリーンが開き、そこからバンドのメンバーが登場してくる。観客、大拍手。スロープがまたまたリップス・スタッフによって撤去されると、そこには、くしゃくしゃなままのスペース・バブルが置かれていて、中にウェイン・コインが入っている。バブルは空気を注入されてみるみる膨らんでいく。パンパンの球体になったところで、客席に向けて(バブル内の)ウェインが歩みだす。音楽が絶頂を迎えたところで、スペース・バブル(ごとウェインも)が客席にダイブ!

こうやってあらためて説明していくと、これがいったい何のエンターテイメントなのか自分でもわからなくなってくるが、つまり、フレーミング・リップスのオープニングということである。Zepp Tokyoの無機質な空間が、(というか、おそらくはリップス行くところすべての会場がそうなるのだろうけど)一挙にオカシなことになってしまう、そんな彼らにしか成しえない無比のマジックが発動したということだ。

これら一連の光景は、あらためていうまでもなく、「産まれる」ということのメタファーである。女性器から出てくるメンバーたちはもちろん、たくさんの観客の手に支えられながら遊泳するウェイン入りのスペース・バブルは、あたかも無数の精子につつかれている1個の卵子のようである(観客の皆様、精子のべん毛運動扱いしてすみません)。ひとしきり場内を経巡ったスペース・バブルは、ステージに上がり、スクリーンの前まで戻り、そこで中のウェインがバブルを突き破って出てくる。つまり、これもまた「産まれる」ということなのだ。そして、そこで演奏されているのは「The Fear」、つまり、「怖れ」である。産まれ出たわれわれが最初に覚えるエモーションなのである。

果たして、誕生したリップスの面々。各自定位置につき「Worm Mountain」の重低音が爆発するように響き渡ると、場内には2階から数十個の色とりどりなバルーンが降ってくるわ、上手下手から幾度もこれまた色とりどりの紙吹雪が吹き上げられ撒き散らされるわ、ウェインは例の「紙テープ銃」を愉快犯よろしく何発も何発も天井に向け発射するわで、ここから観た人は間違いなくこれがライブの終わりと確信するだろうほどの「大クライマックス」。場内は、これがいったい何の騒ぎなのか、狂乱状態に突入する。

つまり、これが狙いである。観客はこのカオス状態に一瞬にして日常の仮面を剥ぎ取られる。つまり、クレイジーになる(ウェインは何度も「クレイジーになれ!」とMCしていた)。ということは、「産まれたて」になる。何度も何度も襲ってくるバルーンをめいっぱい押し返したり、降ってくる紙吹雪を払ったり誤って食べてしまったり、ウェインが撃つ紙テープの軌跡を目で追ったりしながら、自然とわれわれは無邪気になる。この演出は、われわれに、普段のライブはおろか日常でもあまりしないような行為、つまりは何かどうでもいいものをどうにも無意味なまま触れていくことを通じて、裸にしていくのである。

しかし、そのことが、たとえば「幸せ」や「喜び」といったことと直結した何かかと問われれば、まったく違うとか言いようがない。なにしろ、その首謀者であるウェインの目は、このときまったく笑っていないからだ。ここでの「カオス」は、まずはわれわれを「剥き出し」の状態に導くためにある。流れているサウンドは、決して高鳴ることのない、重々しさを貫いているのだ。

「産まれる」ということ。そして、産まれたわれわれが原色の「世界」をまず目にすること。そして、その怖れと慄きの中で右往左往すること。この冒頭で、今夜のリップスがやろうとしていることが、単なる多幸感などといったファンタジーの現出などではなく、この世界に産まれ、その不可解さに日々後ずさりしながら、その得体の知れなさに震えているわれわれの物語であることが明確に告げられる。どの曲も(これまでになく)リミッターを振り切ったバイブレーションとヘヴィネスで貫かれていたのはそういうことだ。今夜の冒険は、「体験」に他ならない。自分が変わる「革命」に他ならない。このカオスの中でどんな自由があるのかを見つけることに他ならない。だから、それはカエルになったり、豚になったりすることでもあるのだ(「I Can Be A Frog」)。

中盤の息継ぎというにはあまりにも美しかった「Yoshimi」をはさんで、いよいよ今夜のクライマックスが訪れる。「See The Leaves」。『Embryonic』の中でもとりわけハードコアなこのナンバーが、最後に見舞った轟音ノイズのことは一生忘れないだろう。いったん曲が終わったかと思った瞬間、身体ごと吹っ飛ばす物量のノイズが放たれる。後方のスクリーンには、今にもわれわれを食いちぎろうとするかのように大きく口を開けたケモノどもの写真が何百枚も速射砲より早く映し出される。グオオオオオオオオオというノイズと、ガアアアアアアアアアというビジュアル。これが「世界」である、としかなぜか言いようのない何か。こんな瞬間は、フジロックのマイブラ以来だったかもしれない。

そこからライブはいっきにさらなるクライマックスへ向けて異様な緊張感を持続しながら駆け上る。ウェインが装着した巨大な手から放たれるレーザーは、上空に設置された2機のミラーボールに乱反射して会場を無作為に刺しまくる。エゴは破壊され、世界もわれわれも鳴り渡るサイケデリアにどろどろになり、そして舞台は暗転したまま1曲を演奏する(「Sagittarius Silver Announcement」)。光は閉ざされ、ただ音だけが充満した「ここ」――。われわれは晴れた日の大地で笑うのではない。きれいな夕焼けを眺めながら手をつなぐのではない。われわれが自由というとき、あるいは革命というとき、それは、このような暗闇の中でしか、つぶやくことは出来ないのだということを、そのとき思い知るのである。そして――。

「Race For The Prize」は、ようやく鳴るのである。

漆黒の闇に包まれていた場内がバアッと明るくなる。紙吹雪がドサドサと降ってくる。紙テープが打ち上げられる。冒頭と同様の光景がそこに現れる。つい1時間ほど前に観たものとまったく同じ光景なのだけど、それは全然違うものだ。われわれは、確かに産まれたときと同じように右往左往している。降ってくる紙吹雪を追いかけて転びそうになっている。そして、この得体の知れない世界のことを産まれたときとあまり変わらない程度にいまださっぱり「わかっていない」。しかし、それは違うのである。違うとしか言いようがない。その根拠のない確かさが、そこにいるわれわれを歓喜させ、涙させていた。

アンコールは「Do You Realize??」。ウェイン・コインは何度も「わかるかな?」と問うていた。君が誰よりもきれいな顔をしていることを。われわれが宇宙に浮かんでいることを。君の知っているひとも、ここにいるわれわれも、いつかは死ぬことを。「わかるかな?」と問いかけながら、ウェインが本当に笑っている。それは、何か「わかった」からではない。「わからない」ことが「わかった」のである。得体の知れない世界、女性器という不思議なものから産まれてくるわれわれ、そんなもの、「わかるはずもない」。その壮大な「?」を、確かに「わからない」と命がけで肯定してしまうこと。それが、フレーミング・リップスである。それが、その光景を前に立ち尽くしていたわれわれの号泣の理由である。

翌日は、今夜ほど暗く壮絶でない、リップスだった。明るかった。「Yeah Yeah Yeah Song」も演った。でも、やっぱり最後には泣いた。(宮嵜広司)

以下、セット・リスト。

2010年11月17日
Mew
1. Do You Love It
2. Hawaaiiiii
3. She Spider
4. Snowbridge
5. Am I Why? No ~ 156
6. Eight Flew Over,One Was Destroyed
7. Silas The Magic Car
8. Special ~ Zookeepers Boy
9. Macrame
10. Apocalypso

The Flaming Lips
1. The Fear
2. Worm Mountain
3. Silver Trembling Hands
4. She Don’t Use Jelly
5. The Sparrow Looks Up At The Machine
6. Morning Of The Magicians
7. I Can Be A Frog
8. Yoshimi Battles The Pink Robots, Pt. 1
9. See The Leaves
10. Laser Hands
11. The Ego’s Last Stand
12. Pompeii Am Gotterdmmerung
13. Sagittarius Silver Announcement
14. Race for the Prize
Encore
15. Do You Realize??

ついでに11月18日のリップスのセットリストも。

1. The Fear
2.Worm Mountain
3.Silver Trembling Hands
4.Yeah Yeah Yeah Song
5.Morning Of The Magicians
6. Ego Tripping At The Gates Of Hell
7. Yoshimi Battles The Pink Robots, Pt.1
8. See The Leaves
9. Laser Hands
10. The Ego’s Last Stand
11. Pompeii Am Gotterdmmerung
12. Race for the Prize
Encore
13.W.A.N.D.
14.Do You Realize??


最後に、来日中、ツアーに帯同していた奥様のお尻とかおっぱいとかを写真に撮ってなぜかやたらと投稿していたウェイン・コインのツイッターをご参考までに。

http://twitter.com/waynecoyne
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