これはもう、紛れもない快挙でしょう! セッションを主軸とするジャム・バンドが聖地・日本武道館でワンマンを行い、しかもチケットをソールドアウトさせてしまうなんて――。『BEN』(2004年8月リリース)からのリスナーとしては少なからぬ感慨を抱いて現地へと向かったのだけれど、そのようなファンは筆者以外にも大勢いらっしゃって、 武道館は中も外もいたるところがお祭りさながらの高揚したムードに溢れていた(物販にはズラーッと長蛇の列!)。
定刻の18時を少し回ったころ、場内が暗転。おなじみのSEと共にメンバーが登場すれば、万雷の拍手が湧き起こる。ウォームアップ的なセッションから、おもむろに柳下(G)のセミアコが“Ngoro Ngoro”のフレーズを奏でるとすぐさま客席が共鳴。オーディエンスは思い思いに身体を揺らし、中盤では芹澤(Key)が激しい手つきで鍵盤を弾き、冒頭から熱量の高いセッションが展開される。立て続けに4人は“Surdo”へと繋ぎ、又吉(B)のアップライトベースと宮原(Dr)の緩急自在なドラミングが場内を温かくも大らかなグルーヴで包み込む。初の武道館ワンマンという気負いをこれっぽっちも感じさせない、どころか、いつも以上に伸びやかなアンサンブルが、シンプルかつ効果的な照明とあいまって実に爽快。スクリーンがないので遠方からは表情まではわからなかったけれど、好感触を得たのか宮原は何度かうなずいてメンバーとアイコンタクトを交わしていた。
期間限定のミュージック・ビデオとして公開され、この日の来場者全員にシングルとしてプレゼントされた「neon」もライブ初披露。さっそくオーディエンスを盛大に揺らし(徐々に高揚感を増していくグルーヴはスペアザの真骨頂といえるものだった)、その後の“IDOL”の、けたたましく明滅する照明と共に巻き起こった絶頂感といったら! 後ろで見ていた男の子が興奮のあまりずっと「ホー!ホー!」と叫び続けていて、どうにかなっちゃうんじゃないかと思ったほどだった(笑)。
この夜は通常のスペアザのワンマン同様、1st SET/2nd SETの二部制で行われたのだけれど、この1st SETはMCもなく矢継ぎ早に楽曲をプレイ。あらかじめ祝祭感に満ちていた武道館だが、あえてそのヴァイブスに同調することなく、4人は自分たちの本懐であるセッションのスリルとダイナミズムを探求するように熱演――。そこにはハードコアバンドさながらのストイシズムが漲っていて、武道館ワンマンに賭けるスペアザの想いがひしひしと伝わってくるようだった。
15分ほどのブレイクののち“PB”から始まった2nd SETは、1st SETのテンションを引き継ぎつつ、よりパーティ感溢れるものとなった。“PB”のAメロから拍手と歓声が乱れ飛び、1st SETではほぼ単色だった照明もカラフルな色彩を帯びてステージに華を添え、場内の一体感はみるみる上昇。さらに“Good morning”、“Laurentech”と多幸感溢れるナンバーが続き、フロアとステージはひとつの共同体のような連帯を帯びて歓喜の果てへと駆け上がっていった。柳下がアコースティック・ギターを、芹澤がピアニカを奏でたインタルード的な“CP”を挟んで、スペアザきってのダンス・ナンバー“AIMS”投下で再び場内大沸騰! 間奏のブッ壊れるフェーズはいつも以上にブッ壊れていたし、アリーナから2階席までが熱に浮かされたように踊りまくる光景は壮観の一言だった。
2nd SETも終盤となって、「ライブハウス・武道館へようこそ!」(宮原)と、ようやくメンバーが口を開いた 。「武道館でコレが言えたってことはねえ、いやぁ……」と宮原はひとしきり感慨を吐露し、芹澤も「ライブハウス・武道館へようこそ!!」と天丼をカマしながら(笑)、「こんなに集まってもらって本当にありがとうございます! 俺らも全身全霊で楽しみたいと思います!」と興奮気味にMC。その後“wait for the sun”で今一度クライマックスへと駆け上がって本編はフィニッシュとなったが、当然アンコールを求める声は止まず、再び4人がオンステージ。宮原に促されて、「すごい景色ですよ、これは。忘れないように焼き付けておかないといけないね。10年、20年と続けて行くんで!」と柳下も思いの丈を届け、最後に鳴らされたのは乾坤一擲の“BEN”! フリーキーなキーボードの見せ場やドラムソロなども盛り込まれ、15分を越えるハイボルテージなアクトで武道館ワンマンは大団円となった。
記念すべき初の武道館ワンマンということで多くの人が心のどこかで期待していたであろうコラボレーションこそなかったけれど、記念すべき初の武道館ワンマンだからこそ、いつも通りのスペアザをまっとうした潔くも頼もしい快演だった。あいにく参加できなかった方は、10月9日に同時発売される当公演のDVD&CD化をお楽しみに!(奥村明裕)