モリッシーがこれまでにキャンセルしたライヴまとめ

モリッシーがこれまでにキャンセルしたライヴまとめ

先頃、アメリカ・ツアーの中止を発表したモリッシーだが、アメリカのカリフォルニア州在住のあるファンがこれまでのモリッシーのライヴ中止歴を一覧にして公開している。

ファンはトールという人物で、ファンサイトのライヴ記録を引用しながら中止歴一欄を自身のブログで作成しているが、次のようなものになっている。

1991年
キル・アンクル・ツアー(日本・オセアニア公演分)
「このツアーの終盤の公演となっていたシドニー、メルボルン、アデレイド、パース公演が中止になった。モリッシーはウィルス性感冒に倒れ、翌日には副鼻腔炎も併発することになった。モリッシーは4日間宿の部屋に籠りきりで過ごした」

キル・アンクル・ツアー(アメリカ公演2回目分)
「このツアーでは2回目となるアメリカ公演分でも終盤のウースター、アルバニー、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントン、ウィリアムスバーグ、チャペルヒル、バーミングハム、ニューオルリーンズ、レイクランド、マイアミ公演が中止になった」

1992年
ユア・アーセナル・ツアー(ヨーロッパ・フェス出演分)
「『ユア・アーセナル』を引っ提げた初のライヴ・シリーズはヨーロッパ各地のフェスティヴァルを巡るツアーとなった。そのうちの二つの出演が中止となった」(その一つがグラストンベリーへの出演だった)

1995年
デヴィッド・ボウイのアウトサイド・ツアー(のサポート)
「ツアーから開始2週間後にモリッシーはツアーへの同行を中止した。アバディーン、グラスゴー、シェフィールド、マンチェスター、ニューカッスルのほか、ヨーロッパでの数公演も中止となり、デヴィッド・ボウイ側は代わりのサポートをみつけてこなければならなくなった。モリッシーがまた合流するという話もあったというが、結局、別なアーティストがサポートを務めることになった」
ちなみにその影響を受けてか、モリッシーはツアーを離脱して2週間後の12月中旬に単独で来日公演を行った。この時は『サウスポー・グラマー』のツアーだった。

1997年
マルアジャステッド・ツアー
「なお、ツアー開始後から2週間してモリッシーはインフルエンザに倒れることになった(そのため、シカゴ公演ではセットが短縮されることになり、その次のミネアポリス公演は中止となった)」

2002年
ツアー
「このツアー(北アメリカ・ツアーとサマーソニック出演)の後のヨーロッパとオーストラリア公演分の後に北アメリカに戻るという話も進んでいたが、最終的には見送られることになった」
ちなみに、この時期もモリッシーはレコード契約が浮いている状態だった。しかし、モリッシーのライヴは集客がいいことで知られているので、この時の北アメリカ・ツアーはレコード契約を呼び込むために行われたもので、その後サンクチュアリとの契約を果たすことになる。

2004年
ユー・アー・ザ・クワーリー・ツアー(ヨーロッパ・フェス出演分)
「スペインのベニカシム・フェスティヴァルへの出演も予定されていたがこれは中止となった。さらに(このツアー終了後の)7月と8月にはロラパルーザ・フェスティヴァル(当時はツアー形式で開催されていた)に参加するはずだったが、フェスティヴァルそのものがチケットの売行不振のため中止となった」

ユー・アー・ザ・クワーリー・ツアー(南北アメリカ公演分)
「このツアーはロラパルーザ中止の発表を受けて北アメリカ用に組まれたもので、途中、チリとアルゼンチンのフェスティヴァルへの出演も含むことになった。ラジオのKROQ局が9月18日に開催したインランド・インヴェイジョン・フェスティヴァルへの出演が中止となったが、その振替として10月31日にカリフォルニア州デヴォア公演が行われた。しかし、9月19日にサンフランシスコで開催されたナウ・アンド・ゼン・フェスティヴァルへの出演中止と、10月末に予定されていたテキサス州ヒューストンとオースティン公演の中止はどれも中止のままとなった」

2007年
グレイテスト・ヒッツ・ツアー(北アメリカ公演2回目分)
「モリッシーは喉の感染症のため3公演の中止に追い込まれることになった。その後ヴァージニア州ヴィエンナ公演で復帰したが、その後の3公演も中止となった。中止になった6公演のうち、ボストン、フィラデルフィア、アトランティックシティー公演のみについて振替公演が行われた」

グレイテスト・ヒッツ・ツアー(北アメリカ公演3回目分)
「ハリウッド・パラディアム劇場での公演2日目と3日目は会場内の水道管が破裂したため中止となった。モリッシーはこの会場で計8公演行ったが、この会場で演奏したアーティストとしては最後となり、モリッシーの公演後に会場は閉鎖された」

2008年
グレイテスト・ヒッツ・ツアー(イギリスとフランス公演分)
「(ロンドンのラウンドハウス連続6公演の4日目に)モリッシーは病気のため4曲演奏し終えたところでライヴを中断し、中止となった。その後の2公演も中止となった」

2009年
ツアー・オブ・リフューザル(アメリカ公演分)
「モリッシーはフロリダ州で行われるはずだったツアーの最初の4公演の中止を余儀なくされ、フロリダ州マートルビーチ公演では喉の不調のためセットを3曲分縮めなければならなくなった。その後の2公演もまた中止となった。さらにツアー最終日の公演も中止となった」

ツアー・オブ・リフューザル(イギリスとアイルランド公演分)
「このツアーの間中、モリッシーは風邪に悩まされツアーの中でも比較的規模の大きいライヴがいくつか中止となり、ロンドンの5公演もすべて中止となった」

スウォーズ・ツアー(イギリスとヨーロッパ公演分)
「このツアーでは前回のツアー〔ツアー・オブ・リフューザル(イギリスとアイルランド公演分)〕で中止になった公演があらためて含まれていた(バーミンガム、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール、サリスベリー、リール、パリ公演)。しかし、残念なことに2公演目のスウィンドンでは1曲目を歌った直後にそのままモリッシーがステージに倒れ込んで起き上がれなくなってしまうという事態に至ってライヴは中止となり、その次のボーンマス公演も中止となった」

スウォーズ・ツアー(アメリカ西海岸公演分)
「このツアーでもモリッシーは自身の健康に悩まされることになり、中止が1回ほどあった。うまく歌えないような時にはそれが気に障っている表情を見せていたが、腹が立っているというほどの様子ではなかった。そのような様子になるとモリッシーはたいていステージから立ち去ってしまう。多くの人がこのツアーでのモリッシーは憔悴していたと記憶しているが、それでもモリッシーは果敢にツアーを進め、中止はただの1回で済んだ」

2012年
ツアー(アメリカ公演分)
「10月5日にツアーが始まってから2週間目にモリッシーは母親が入院したためイギリスへ帰国しなければならなくなった。公演は25公演以上残していたが、すべて翌年の頭に順延されることになった。しかし、その時には今度はモリッシーが病に倒れることになるので、またしても順延か中止に追い込まれることになる」

2013年
ツアー(アメリカとメキシコ公演分)
「ツアーは10公演目の1月24日のミシガン州フリント公演から中止となったが当初は2月9日のラスヴェガス公演から再開すると発表された。しかし、これがままならず、2月21日のデンヴァー公演での再開を目指したが、結局、モリッシーがライヴに戻ったのは2月27日のサンディエゴ公演だった。およそ1週間後の3月8日のポートランド公演後にモリッシーはまたしても具合が悪くなり、今度は両肺炎を起こしていることが判明した。医師の指示により、残りの公演はすべて中止となった」

ツアー(南アメリカ公演分)
「モリッシーはすでに現地入りしていたが、冒頭の数公演はモリッシーの食中毒により中止となり、そのほかはすべて資金不足のため取りやめとなった」

2014年
ご存知の通り。
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