時代精神を汲み取った作品で知られるカナダの作家、ダグラス・コープランドだが、元R.E.M.のマイケル・スタイプはコープランドの特にヴィジュアル・アーティストとしての活動について綴ったエッセーをザ・ガーディアン紙に寄稿している。
マイケルはコープランドの特に2001年9月11日にアメリカを襲った同時多発テロ事件と関連した作品の持つ意味合いについて触れていて、この事件の記憶がいかにアメリカ人の深層心理に今も巣食っているかという事実をコープランドの作品はあぶりだすものになっていると指摘している。
マイケルが特に取り上げているのはコープランドの印刷物の写真の図版などに使う網点印刷の模様を極限まで引き伸ばした作品群で、これらの作品は最初はただの黒い点の羅列のように思えて、最初は抽象的な作品かと思えるという。しかし、これを遠目に観たり、写真を通して縮小させたりしてみると、実はなんのイメージだったのかが浮き上がってくると次のように説明している。
「でも、それをアイフォーンを通して見てみると(携帯に撮ってあとでネットに上げようと思っているからそうするわけだけど……まあ、2014年なんだからこういう不作法は仕方がないのだ)、えええええと気づいて、思わず背筋が冷たくなるのを感じてこの作品があの人たちだったということを理解するのだ。それは(炎上した世界貿易センタービルから)飛び降りてしまった人たち、そしてあの怪物(オサーマ・ビン・ラーディン)の写真なのだ。コープランドはこうした、ぼくたちの中で深く内面化されてしまったイメージの数々を見てもいいし、見えなくしてもいいという選択をこういう作品でぼくたちに提供してくれているのだ。その選択があることで、ぼくたちは頭がおかしくなることなく日々をやり過ごせているのだ」
「コープランドのイメージの数々はまた、誰もが(かつて世界貿易センタービルがあった)マンハッタン南部の光景を眺める時に、ある意味で相反する感情を抱えるようになってしまったことを気づかせてくれるものでもある。ぼくはフリーダム・タワー(世界貿易センタービルの跡地に建設が進められているワン・ワールド・トレード・センターの通称)を見る度に、イラク進攻に対してフランスが反対した時に生み出されたフレーズである『フリーダム・フライ』をどうしても思い出してしまう。当時、アメリカではフランスへのあてつけとして、『フランス』や『フレンチ』という名前のついたものはすべて『フリーダム』に置き換えられて、『フリーダム・トースト』『フリーダム・フライ』『フリーダム・キス』などといったばかばかしいフレーズがまかり通ることになったのだ。フランスのワインは販売自粛となり、フランス人とわかると唾をはきかけられることも起き、フランス人の写真についてはことごとく顔がイタチ(責任を回避しようとする人への蔑称でもある)にすげ替えられるようなことにもなった。自由の女神像が誰から贈られたものだったかということなどは誰もが忘れてしまったようだった。これは破滅的な対応だったし、抗議表明としてボイコットに訴えるというかつてあった左翼主義的な態度を根底からひっくり返すようなおぞましい行為だった。この時ほどぼくは自分の国が恥ずかしいと思ったことはない(ジョージ・W・ブッシュとチェイニー副大統領をぼくたちが再選してしまった時以外では)」
「コープランドによる飛び降り者や究極の怪物ビン・ラーディンのイメージは、こうしたイメージがぼくたちの内面においてどれほど深いところに巣食っているかということ、もはやどうしてもぼくたちの心から取り除きようがないこと、どれだけ時間が経ってもそのイメージの持つ力はいつまでも健在であること、そして、ぼくたちには完全にその意味を読み解くこともまたできないことを教えてくれるのだ」
ダグラス・コープランドの作品の一部はこちらから。
http://danielfariagallery.com/exhibitions/douglas-coupland-the-21st-century-continues-part-ii

