僕は、キュウソネコカミのライヴを観て、あまりの感動に一度だけ泣いたことがある。それまでは、キュウソを観て泣くなんて思いもよらないことだったので、自分でもどうしたらいいかわからないぐらい動揺した。今年の2月のことだ(そのときのライヴレポートがこちら→http://ro69.jp/live/detail/118726)。
もちろん、キュウソの楽曲やライヴパフォーマンスには、泣き笑いの成分が含まれている。彼らが、「毒を食らわば皿まで」とか「死なば諸共」といった慣用句が相応しいぐらい体当たりのエモさを備えていることは、きっと多くの人がご存知だろう。例えば、“DQNなりたい、40代で死にたい”“良いDJ”“ファントムヴァイブレーション”“ビビった”“ハッピーポンコツ”といった人気曲や、ステージパフォーマンスの泣き笑いはとても高性能でポップだ。しかし、高性能であるがゆえに「泣き」よりも「笑い」が勝ってしまって、それだけでは泣くことができない。
10月21日にリリースされる彼らのニューアルバム『人生はまだまだ続く』にも、キュウソらしい泣き笑いがたくさん含まれている。いや、これまでよりも濃縮して詰め込まれているといっていいだろう。そこに収録された“ビーフ or チキン”という曲を聴いて、僕はまた泣いてしまった。いわゆる泣きメロで書かれた曲ではないし、むしろレッド・ホット・チリ・ペッパーズを思い出させるような、むせ返るほどファンキーなナンバーだ。歌詞も、ディスの価値と意味を問いかけるといった内容である。
なぜあのときのライヴで泣いたのか、なぜ“ビーフ or チキン”で泣いたのか、自分でもうまく言葉にすることができない。ただ間違いないのは、それがキュウソというバンドの音楽そのものによってもたらされた体験だということだ。アティテュードと音の熱量と強度がぴったり一致していて、音楽の向こう側にアーティストの顔が透かし見える感じ。たとえ他の誰かが似たようなことを歌っても、それこそレッチリが歌っても、キュウソの“ビーフ or チキン”にはならない。音楽を通したその確かなコミュニケーションがあまりにも貴重に思えて、胸を熱くさせられてしまう。
その感覚は、僕が音楽に触れるときもっとも大切なもので、音楽の力に魅せられながらライターをやっている根拠そのものだ。キュウソの「泣き笑い」の向こう側には、確かなコミュニケーションが成立していることの奇跡が横たわっている。僕たちはそれに触れたとき、猛烈に感動するのである。彼らはこれから何度、そんな体験をもたらしてくれるだろう。10月26日から繰り広げられる、恐ろしく濃いメンツとの「試練のTAIMANツアー 2015」も楽しみだ。(小池宏和)