今年に入ってからトム・デロングが実質的に脱退し、新ヴォーカル/ギターとしてマット・スキバを迎えて新作制作に入ったと伝えられているブリンク182だが、ドラムのトラヴィス・バーカーは2008年に経験した飛行機事故について語っている。
ブリンク182はトムが自身のソロ活動を追求したがったのとメンバー間の意思の疎通が困難になったため2005年にいったん活動休止に入ったが、08年9月にトラヴィスが乗っていた小型ジェット機の事故に巻き込まれ、重傷を負いながらも九死に一生を得ることになった。この事故をきっかけに3人はブリンクの活動再開を決意し、09年からライヴに復帰し、11年には8年ぶりのアルバム『ネイバーフッズ』をリリースすることになった。
トラヴィスはこの事故についてこれまでまったく語ってこなかったが、10月20日に回想記『Can I Say: Living Large, Cheating Death, and Drums, Drums, Drums』を刊行したのにあわせて、ABCテレビの取材を受けて当時のことを振り返っている。
事故は離陸に失敗してそのまま大破するという惨劇になったが、6名乗っていた人員のうち、助かったのはトラヴィス、そしてトラヴィスと当時ユニットを組んでいたDJのDJAM(アダム・ゴールドスタイン)の2名だけだった。事故の瞬間をトラヴィスは次のように振り返っている。
「飛行機は燃えてるし、俺の腕も燃えてるし、シートベルトを外して、機内を跳び回って逃げるんだけど、燃料だらけだからそのまま全身に火が点いたんだ」
「全身が燃料に浸っちゃってるからなにをどうやっても火を消せないんだよ。その後、気がついたら飛行機の外へと出られてて、そのまま飛行機は爆発したんだ。それからは火傷の集中治療センターに4か月入院することになったんだ」
27回手術を繰り返した当時のことをトラヴィスは「地獄にいるようだった」と振り返っていて、実際に友人たちにも100万ドル(約1億2千万円)送金するからもう殺してくれと電話で持ちかけていたため、電話も取り上げられることになったという。
さらに悲しい体験となったのは、まだ幼稚園に通っていた息子のランドンが家族の絵などを描くお絵描きの時間に飛行機事故の絵を描いていたことを知らされたことだったという。
なお、トラヴィスとともに生還したDJAMは事故の翌年薬物の過剰摂取で命を落とすことになった。
その後、トラヴィスは飛行機には一度も乗っていないということで、海外へツアーに出かけるのも船舶で移動しているという。
「子供たちにも言ってるんだよ、『そっちが乗る気になったら、俺も乗るから』ってね」