11月10日に公演先のスペインで急逝したニューオーリンズR&Bの体現者ともいえるアラン・トゥーサンをポール・マッカートニーやザ・ルーツらが追悼している。
同じニューオーリンズ出身のネヴィル・ブラザーズのアート・ネヴィルは次のようにアランを偲んでいる。
「ぼくの古くからの友人で、音楽における兄弟で、先生で、指導者で、この世でこんな穏やかな人はいないとしか思えない、アラン・トゥーサンの訃報を知らされて衝撃を受けて、打ちひしがれています。アランはニューオーリンズが世界と分かち合った、本当の意味での音楽的な宝物でした。音楽と楽しい思い出と、これからもみんなが楽しめるようにきみが残してくれた遺産をアラン、ありがとう。安らかにお眠りください。ピース・アンド・ラヴ」
ホール・アンド・オーツのジョン・オーツは次のように追悼している。
「世界中の音楽愛好家が今日はあの伝説のアラン・トゥーサンの訃報を嘆いているはずです。アランはリズム・アンド・ブルースの基礎を作った人たちのひとりで、最もよく知られていて愛されているアメリカのロックンロール黎明期の楽曲の数々を書いてきた人です。何年か前にアスペン・ソングライターズ・フェスティヴァルでは司会としてアランと接する機会にも恵まれ、一緒に共演させてもらったこと、さらにこの目でアランのひとり舞台を目撃できたことを光栄に思っています。アランのご遺族と世界中にいるご友人のみなさんには愛をお送りします。数百万人もの方々がアランのことを惜しむでしょうが、アランの音楽が死ぬことはありません」
ポール・マッカートニーは自身のインスタグラムで1975年にニューオーリンズで行った『ヴィーナス・アンド・マース』用のセッションでアランとコラボレーションした際の写真を上げて、次のように偲んでいる。
「スペインでコンサートの後、アラン・トゥーサンが亡くなったことを聞いて悲しんでいます。ニューオーリンズで一緒に仕事をしたことがあるから、とても人あたりがよくてやさしいやつだったって知っているし、"フォーチューン・テラー"、"サザン・ナイツ"、"ワーキング・イン・ザ・コール・マイン"、"ブリックヤード・ブルース"などの楽曲でソングライターとしての才能がとてつもないものだったこともわかっています。アランの楽曲は、ぼくみたいにアランとの思い出をかけがえなく思っている人たちにこれからもずっと大切に聴かれていくことになるでしょう。ぼくとぼくの家族からアランのご遺族へ心よりお悔やみ申し上げます」
サ・ルーツのクエストラヴは次のようにアランの偉大さを解説している。
「みんなには『歳取った伝説の人が亡くなったみたいだ』なんて思ってほしくないんだな。まるで違うことだから。この人物は、きみが最も好きな音楽や曲を書いた人で、きみはまだそのことを知らないだけなんだ。この人が影響を及ぼしたジャンルはあまりにも多すぎるんだ。自分の芸が本当はどれだけ力を持っていて、どれだけ影響力があるかということは、そうやって知るものなんだよ。静かにシーンそのものを変えてしまって、そのことをまたしっかり評価してもらえることによってだね。カニエ・ウェストの俺様節を本当の意味でやっていい人がいるとしたら、それは実はこの人なの。でも、謙虚で物静かなこの人の性格がそうはさせなかったわけ。この人の作品や活動がすべてを物語っているけど。じっくり時間をかけてこの人の作品を覗いてみてください」
1966年のアメリカ盤のライヴ作品『ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット!』にアランの"フォーチューン・テラー"のカヴァーを収録したザ・ローリング・ストーンズは「R.I.P.(ご冥福を)アラン・トゥーサン」とフェイスブックで悼んでいる。
レニー・クラヴィッツは次のようにインスタグラムで追悼している。
「友人であり恩師でもあった人が今朝亡くなりました。ニューオーリンズの伝説のミュージシャンにして、ソングライター、プロデューサーであり、アレンジャーでもあったアラン・トゥーサン。アランによくしてもらい、目もかけてもらったことを本当に恵まれていると思っています。トゥーサン家のみなさんには心よりお悔やみ申し上げます。愛と敬意を!」
アランとともにニューオーリンズR&Bを広く世に伝えたドクター・ジョンのフェイスブックでは4月末から5月上旬にかけて開催され、アランもジョンも出演したニューオーリンズ・ジャズ・アンド・ヘリテッジ・フェスティヴァルでの画像とともに次のようにジョンの様子が報告されている。
「ドクター・ジョンはかけがえのない親友アラン・トゥーサンを失ってすっかり打ちひしがれています」
ポールの追悼インスタグラムはこちらから。