【コラム】スピッツの新作『醒めない』に期待高まる! ーー改めてスピッツの「メロディの魔法」を検証

【コラム】スピッツの新作『醒めない』に期待高まる! ーー改めてスピッツの「メロディの魔法」を検証

2016年7月27日(水)のリリースに先駆けていよいよトラックリストも発表された、スピッツのニューアルバム『醒めない』。昨年の配信限定シングル曲“雪風”、最新シングル曲“みなと”とそのカップリング曲“ガラクタ”、そしてSUBARU「フォレスター」のCM曲“ヒビスクス”を含む全14曲……なのだが、個人的には“雪風”“みなと”の時点で、すでにこの新作アルバムに超弩級の期待感が膨らみ続けている。

91年のデビュー時点から稀代のメロディメイカーとして愛され続けているスピッツだが、この10年くらい――アルバムで言うと『さざなみCD』以降、特にスロウ〜ミドルナンバー系の楽曲におけるメロディの、感情を直接揺さぶる妖術としか思えない抗い難い訴求力は、“空も飛べるはず”“ロビンソン”“チェリー”をはじめどこかファンタジックなポップ感を宿した90年代の(そして今なお彼らの代名詞的に語られている)ヒットシングル群とはまったく別種の魅力を備えている。まがりなりにも音楽を言葉で綴る仕事をしているひとりとして、楽曲を「泣ける」か否かという僕個人の感情を軸に語ることは極力避けているのだけど、『さざなみCD』の冒頭“僕のギター”で<<そして>>とキーチェンジするところで心の堰が決壊、“ルキンフォー”“ネズミの進化”などを経て、ギターソロ顔負けのアップダウンを擁した美メロをマサムネが伸びやかに歌う最後の“砂漠の花”に至る頃にはとてもじゃないが人に見せられない状態になってしまう。同じことが『とげまる』の“ビギナー”や“若葉”、『小さな生き物』の“ランプ”“スワン”などでも起こるため、『さざなみCD』以降のアルバムはiPodなどで持ち歩く際も絶対に人前で聴かないようにしているほどだ。

それ以前のスピッツのスロウナンバーにも、狂おしく心をかき乱されたことはたくさんあったものの、そういった感情はどちらかと言えば、“水色の街”や“ガーベラ”といったメランコリックで悲しげな楽曲によって呼び起こされることが多かった。ポップのファンタジーとメロウな心の揺らぎは、スピッツの音楽世界の中でも別個のものとして存在していたように思う。その位置関係が、『さざなみCD』で一気に変わった。晴れやかさと切なさ、光と影の境界線が無効化され、ポップとメロウが同一の楽曲に結晶されるようになった。単なる「長いキャリアを重ねたがゆえの滋味やテクニックの集積」とは一線を画した、脳内で反芻するだけで心を捉えて離さないメロディの魔法。『空の飛び方』的な言い方をするのであれば、まさしくマサムネは「魔法の作り方」をマスターしたのだろう。そうとしか思えない力を、彼の歌と旋律は確かに持っている。

そして“みなと”だ。《汚れてる野良猫にも いつしか優しくなるユニバース》といったスピッツ独特の世界観に満ちたリリックも最高だが、その《汚れてる》で始まるメロの繰り返しから《君ともう一度会うために作った歌さ》と高く伸び上がる、驚くほどシンプルでギミック皆無な歌に、スピッツ唯一無二のマジカルなきらめきを感じて心が震えたのは僕だけではないはずだ。『Mステ』出演時のキュートな佇まいに、Twitterでは「マサムネ妖精説」まで飛び交っていたが、もちろんマサムネは妖精なんかじゃない。日本の音楽ファンが心から誇るべき、ポップの魔法使いそのものだ。

《君は生きてく 壊れそうでも/愚かな言葉を 誇れるように》という凛とした言葉がハイトーンの歌声越しに目映く広がる“雪風”をラス前に配した新作アルバム『醒めない』。タイトル曲“醒めない”をはじめ“子グマ!子グマ!”“コメット”“ハチの針”“モニャモニャ”など曲名だけでも心躍る今作も、おそらく早々に「人前で聴けないアルバム」の仲間入りすることだろう――と勝手に日々胸が高鳴って仕方がない。(高橋智樹)
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