「欅坂46」と「神様、僕は気づいてしまった」の社会を支配する抑圧をぶっ壊す傑作が相次いでリリースされたことについて

7月19日に欅坂46の1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』がリリース。
その翌週の7月26日に神様、僕は気づいてしまったの1stミニアルバム『神様、僕は気づいてしまった』がリリース。
もちろん2アーティストに特段の関連はなく、たまたま2週連続でこれらの作品がリリースされただけなのだが、2017年の今、このふたつの作品が誕生したことに、僕はどうしても運命的な必然を感じずにはいられない。

何がこの2作品に共通しているのか?
まず「不安」、「孤独」、「苦悩」、「罪悪感」、「失望」、「絶望」、「破壊衝動」といったマイナスの感情が何の抑制も受けずに溢れ出しているところ。
そして、そんなマイナスの感情を吐き出す自由を、自分たちで未来を創造する自由に音楽の力で変えてしまえるところ。
しかも、それをどこの誰だかわらない「時代の声」として体現しているところ。
その存在そのものが、今まで自分たちを飼いならそうとしてきた大人の世界に対する宣戦布告に他ならないところ。
その宣戦布告に共鳴した人ならば、戦いの果てに新たな「希望の国」の旗がはためくのがはっきりと目に浮かぶところ。

欅坂46は「アイドル」である。
神様、僕は気づいてしまったは「覆面バンド」である。
でも形は関係ないのだ。
決して止めることのできない巨大な新しい動きはいつだって、全く関連のないさまざまなところから同時多発的に起こる。
欅坂46『真っ白なものは汚したくなる』と神様、僕は気づいてしまった『神様、僕は気づいてしまった』は、これから時代がどこに向かっていくのかを宣告する「予言の書」であり、それは「最新型のポップミュージック」と同義なのである。(古河晋)
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