1月21日、ジョン・サイクスの訃報が届いた。日本時間の同日未明にオフィシャルSNSに書き込まれた文面によると、近年の彼は癌との闘病を続けていたのだという。まだ65歳という若さだった。
サイクスは1959年7月29日、英国はバークシャーのレディングに生まれている。ストリートファイターなるローカルバンドでの活動を経てタイガース・オブ・パンタンに加入し、シーンにその名を知られるようになったのは1981年、彼がまだ21歳の頃のことだった。翌年9月に同バンドが初来日した際にはすでに脱退していたが、その後はシン・リジィに加入し、彼らの最終オリジナル作にあたる『サンダー・アンド・ライトニング』に大きく貢献するのみならず、同作に伴う来日公演にも参加している。
自らを「ロックを弾くブルースギタリスト」と称する彼は、スピードとメロディ、トーンの美しさを兼ね備えているばかりではなく、作曲や歌唱においても卓越したものを併せ持っていた。加えて、金髪を揺らめかせながらレスポールのブラック・ビューティーを奏でるそのたたずまいは、若々しさと伝統継承者としての崇高さを感じさせるものだった。
彼の才能の豊かさについては、その後、ホワイトスネイクへの貢献により広く認知されることになる。同バンドがゴージャスなオールスターバンドとして米国市場への本格的な猛攻を仕掛け始めた頃、もはや彼はそこに名を連ねていなかったが、世界中で記録的なヒットとなった『白蛇の紋章〜サーペンス・アルバス』を彩っていた楽曲たちは、彼の存在なしには生まれ得なかったものだ。
のちに彼は自身がボーカルをとる形でブルー・マーダーを始動させ、さらにはソロ名義での活動も続けてきた。その創作ペースはかなり緩慢なものではあったが、世のトレンドに左右されることのない彼の作品は常に日本においては正当な評価と高い支持を獲得していたし、長きに亘りずっと鋭意制作中と伝えられていた新作の到着を誰よりも待ち焦がれていたのは、日本の音楽ファンかもしれない。
物事の流れが少しばかり違っていたら、彼自身ばかりではなくホワイトスネイクの歩みも違ったものになっていただろうし、80年代から現在にかけてのハードロックの歴史も違っていたかもしれない。しかし同時に、彼がのこしてきた作品や楽曲の素晴らしさは、この先も色褪せることがない。上の世代の偉人たちとも後続世代のギターヒーローたちとも明らかに一線を画するこの稀有な表現者の冥福を、心から祈りたい。(増田勇一)
ジョン・サイクスの記事は、現在発売中の『ロッキング・オン』3月号に掲載中です。ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。
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