今日から9月なのでRADWIMPS“セプテンバーさん”について書いてみました

2006年にリリースされたRADWIMPSの通算3枚目のアルバム『RADWIMPS 3〜無人島に持っていき忘れた一枚〜』の2曲目に収録されている“セプテンバーさん”。
今でも9月になると聴きたくなる人は、多いですよね。
キラキラした夏の恋の魔法が解けても新しい季節の中で想いが深まっていくラブソングとして、多くの人が自分たちの経験した恋と重ねたりしながら、10年以上愛され続けている曲なのかなと思います。
僕も個人的にRADWIMPSの中で最も好きな曲のひとつなのですが、実は、この曲をラブソングというだけではない角度から聴いてもグッとくると感じています。
それは、この曲が収録されている『RADWIMPS 3〜無人島に持っていき忘れた一枚〜』が彼らのメジャー1枚目のアルバムだということとも関係しています。

インディーズ時代の彼らのライブも僕は観ているのですが、当時の彼らは今以上に破格の自由なドライブ感を持っているバンドで、そこが今と比べると、とっ散らかっていたとも言えるし、特別な魔法がかかっていたとも言えると思います。
いずれにせよ、それが当時のRADWIMPSというもので、僕は、彼らにとってインディーズ時代というのは、キラキラした魔法のかかった夏だったのではないかと思っています。
そしてこの“セプテンバーさん”で彼らは、そんな夏の魔法でできた「夢」を、これからたくさんの人と繋がっていく本当の「夢」にしていくことを歌っている気がするのです。
そんな新しい季節の始まりに愛を込めて“さん”付けをしたのが“セプテンバーさん”なのではないかと。

《本物よりもリアルに見えた あの魔法はもう解けた/けどギュっとすればキュンとなるあれは 夏のおかげなんかじゃない》
《夢が語りつくした希望を 僕は拾うよ 君は見てるの?/さぁ今ならば この声ならば届く気がしたんだ/夏がちらかしてった心を 僕は紡ぐよ さぁいざ行こう/そう今だから この声だから 響くセプテンバー》

なぜRADWIMPSの音楽が、ときに辛辣で毒々しいくらいリアルな表現も厭わずに、こんなにも僕らの人生に美しい魔法をかけ続けてくれているのか。
“セプテンバーさん”を聴くと、僕はその理由がわかる気がするのです。(古河晋)

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