90年代UKロック史の金字塔、ザ・ヴァーヴ『アーバン・ヒムス』の10の秘密

90年代UKロック史の金字塔、ザ・ヴァーヴ『アーバン・ヒムス』の10の秘密 - ザ・ヴァーヴ『アーバン・ヒムス』2CD日本盤ザ・ヴァーヴ『アーバン・ヒムス』2CD日本盤

ザ・ヴァーヴの3作目のアルバム、『アーバン・ヒムス』の20周年記念デラックス・エディションが本日(9月1日)いよいよリリースされる。このアルバムがヴァーヴ史における、そして90年代UKロック史における金字塔であることに疑問を持つ方はいないだろうが、それほどの普遍的名盤でありながらも未だに知られざる魅力やエピソードを数多く内包した、どこかカルト的なアルバムでもある。

それはヴァーヴというバンドが辿った数奇な歴史に加え、90年代に結局一度も来日することがなかった(本作のリリース後には来日嘆願の署名活動まで行われたのだが)という、彼らが日本のファンにとって長らく「実在をこの目で確認できなかった」バンドだったのも大きな要因だろう。

ここでは改めて、20周年を迎えた『アーバン・ヒムス』の知っておくべき10のポイントを選んでみた。


『アーバン・ヒムス』は再結成アルバムだった

ヴァーヴは1989年の結成から2009年の最後の(?)解散までに、2度の再結成と3度の解散を経験しているバンドだ。そんな彼らが最初に解散したのはセカンド・アルバム『ア・ノーザン・ソウル』のリリース直後の1995年。リチャード・アシュクロフトとニック・マッケイブ(G)の音楽性の相違に端を発する確執、及びリチャードのドラッグ問題も濃く陰を落とした末の解散で、同作からのラスト・シングル“History”のアートワークに、「別れはいつも突然に(all farewells should be sudden)」と記されていたのは有名なエピソードかもしれない。

その後、リチャードはニック抜きでヴァーヴの再生を模索してひとり曲を書き溜めていたが、やはりニックの力が必要だと悟ってふたりは和解。そうしてオリジナル・メンバーでの再結成に至ったヴァーヴが1997年にリリースしたのが本作なのだ。


ヴァーヴのヴァーヴらしくない傑作、『アーバン・ヒムス』

前述のように、リチャードは当初このアルバムを自分の力でなんとか完成させようとしていた。ギタリストにして作曲パートナーだったニックの不在が、結果として本作にピアノやストリングスといったこれまでのヴァーヴにはなかった要素を取り入れるきっかけとなり、かつてのダーク・サイケデリック&ギター・グルーヴ主体のヴァーヴでは考えられなかったようなバラッドや、ポップ・チューンが生まれた。しかしその後ニックが合流したことで、『ア・ノーザン・ソウル』までのヴァーヴを彷彿させる“Come On”や“The Rolling People”も誕生した。ちなみに“Come On”は『ア・ノーザン・ソウル』期に既にデモが存在していたナンバーだ。

つまり、『アーバン・ヒムス』の記録的大ヒットの要因となった“Bitter Sweet Symphony”や“The Drugs Don’t Work”、“Sonnet”といったポップ・チューンは、ニック・マッケイブの不在が生んだヴァーヴ「らしくない」産物」であり、この時期のヴァーヴが「リチャード・アシュクロフトwith ザ・ヴァーヴ」とも評されるのはそれゆえなのだ。再々結成後の『FORTH〜再生』(2008)も本作とはまったく異なるヴァーヴらしい一作となったことを思えば、この『アーバン・ヒムス』の特殊性はご理解いただけるんじゃないかと思う。

ちなみに『アーバン・ヒムス』的なヴァーヴ・サウンドを最も端的に受け継いだのは、リチャードのソロ・アルバム『アローン・ウィズ・エブリバディ』(2000)でもある。


『アーバン・ヒムス』のアルバム・ジャケットはボツ写真だった?

野っ原に5人が座っている。ただそれだけの『アーバン・ヒムス』のジャケット写真は、写真の中で向かって左端のニック・マッケイブだけが逆方向を見ていることから、バンド内での不仲の現れだとする憶測も生んだが、それはまったくの都市伝説。ロンドンのリッチモンド・パークでの撮影中、飽きてダラダラし始めたメンバーに向けてカメラマンがたまたまシャッターを切っていた試し撮り的一枚だという。


ヴァーヴ最大のアンセム、“Bitter Sweet Symphony”の生みの親は「ジャガー&リチャーズ」?

『アーバン・ヒムス』からの先行シングルで、ヴァーヴ最大のヒット曲となった“Bitter Sweet Symphony”。この曲のトレードマークと言えばもちろんあの、あまりにも有名なストリングスのループだろう。しかし、あのストリングス・パートの旋律は、もともとザ・ローリング・ストーンズの“The Last Time”のオーケストラ・カバー・バージョンをサンプリングしたものだった。

ちなみに“The Last Time”のオーケストラ・カバーの生みの親は、ストーンズのマネージャー兼プロデューサーのアンドリュー・オールダムで、同カバーはアンドリュー・オールダム・オーケストラの『ザ・ローリング・ストーンズ・ソングブック』に収録されている。

ヴァーヴは“Bitter Sweet Symphony”のリリースに際し、オールダム・オーケストラからの著作隣接権は得ていたのだが、原曲の生みの親であるストーンズの著作権についてはスルーしてしまっていた。そのことからリリース後にストーンズ側に訴訟を起こされ、結局この曲のクレジットは「ミック・ジャガー/キース・リチャーズ」に変更された。これによって同曲のロイヤリティはすべてミックとキースの収入となり、以降“Bitter Sweet Symphony”が何枚売れようとも、CM曲として何度使用されようとも、この曲からリチャードが得た収入は1000ドルのみとなった。

The Verve - Bitter Sweet Symphony

しかし“Bitter Sweet Symphony”は全英1位を獲っていない。獲ったのは――

とにもかくにもヴァーヴの最大のヒット曲であり、彼らの代名詞となった“Bitter Sweet Symphony”だが、1997年6月に『アーバン・ヒムス』からの先行シングルとしてリリースされたこの曲は、全英シングル・チャートで2位だった。そう、1位を獲っていないのだ。今となっては意外かもしれないが、前作『ア・ノーザン・ソウル』までの彼らがカルト・バンドの領域を未だ出ていなかったことを思えば、当時は2位でも非常に高く感じたし、いわゆる「ブリットポップ景気」のバブリーな順位だと思ったのを覚えている。ちなみにヴァーヴは全キャリアにおいて全英ナンバー・ワン・シングルは1曲のみで、それが“The Drugs Don’t Work”だ。

“Bitter Sweet Symphony”の約3カ月後、『アーバン・ヒムス』の約1カ月前にリリースされた“The Drugs Don’t Work”は、リチャードが1995年に書いた曲で、ジャンキー状態だった当時のリチャードの心境を赤裸々に綴った曲であり、また、彼が11歳の時にがんで亡くなった父親に捧げたナンバーでもある。

The Verve - The Drugs Don't Work

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