ザ・チェインスモーカーズは、なぜ新曲“Sick Boy”でアメリカの巨大なナルシシズムに牙を剥き出しにしたのか?

ザ・チェインスモーカーズは、なぜ新曲“Sick Boy”でアメリカの巨大なナルシシズムに牙を剥き出しにしたのか?


The Chainsmokers - Sick Boy

この1月にサプライズで配信リリースされたザ・チェインスモーカーズの“Sick Boy”は、昨年のアルバム『メモリーズ…ドゥ・ノット・オープン』以来となるまっさらな新曲だ。MVではピアノを奏でるアレックス・ポールと歌うドリュー・タガートが、今にも異形の怪物へと姿を変えてしまいそうな様子が描かれている。これまではドラマやアニメーション仕立てがほとんどだった彼らのMVの中、「これが本性だ」とばかりに2人にスポットライトが当てられた作風になっているのも珍しい。

何より“Sick Boy”は、ポストEDM時代のポップデュオとしては意外に思えるほどシンセ・サウンドに抑制が効いていて、生々しい息遣いを強く感じさせている。自堕落な欲望や甘い背徳感に身をやつすようなメロディラインも見当たらない。飾り気のない、剥き出しのチェインスモーカーズと言ってもいいだろう。この曲に触れて「何か変だ」と感じたファンは至極真っ当だろうし、むしろ不気味ですらある。なお、Apple Music上で“Sick Boy”の作曲クレジットを確認すると、アレックスとドリュー、アルバムにも参加したSSWのエミリー・ウォーレン、そしてエレポップ・デュオThe SwoonsのTony Annによる共作という形になっている

ホラーなアメコミ風アートワークを持つ“Sick Boy”の歌詞は、アメリカ東部から西部に移り住んだ男の、それぞれの地域に蔓延る風潮(東部はアメリカ建国のプライド、西部は嘘と紙一重のアメリカン・ドリーム)を受け入れて生きる心情が歌われている。《ナルシシズムを信じるな/誰もが話を聞かせようとしてくるときに/下手なことをするなよ。僕は自分で作り上げた心の監獄の中に生きているんだ/これが僕の宗教なんだよ/あいつらは僕が病気だって言う/リスクを負わないなら言うのは簡単さ/ナルシシズムへようこそ/僕たちはそれぞれの違いを踏まえて集っているんだよ》。

一見、個性が尊重される自由社会でも、そこには国家や地域、民族や性などへの帰属意識が渦巻いている。教室や企業だってそうだろう。「いいね」はすぐさま同調圧力に変わり、枠の中に収まらない者を攻撃し始める。ときには、社会倫理から逸れてしまった個人を晒し者にもする。なぜなら、帰属意識が既に個人のナルシシズムの一部になってしまっているからだ。帰属意識を持つことはとても居心地がいいし、生きやすい。チェインスモーカーズはそれを「宗教」と呼び受け入れるのだが、同時に社会風潮の不気味さにも気づいている。“Sick Boy”はそういう歌だ。個人のナルシシズムを凌ぐ、社会単位の巨大なナルシシズムと言えばいいだろうか。

チェインスモーカーズは活動初期の“#Selfie”の頃から、半ば炎上商法のようにナルシシズムの不気味さを伝えてきたグループだった。“Sick Boy”ではそのビジョンが一気に拡大し、アメリカ社会を衝き動かす得体の知れない力=巨大なナルシシズムを捉えている。“Sick Boy”の曲調の暗澹とした不気味さは、そのことを描いているように思えてならない。いつでも社会の怪物になりかねない自分自身のことを、極めて平易な言葉でポップに綴ったナンバーだ。巨大なナルシシズムを受け入れながらも警鐘を鳴らす姿勢は、まさにEDMポップの寵児として祀り上げられてきたはずの彼らが、EDMの文体から脱却し、剥き出しのチェインスモーカーズとして表現していることからも伝わってくるはずだ。(小池宏和)
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