米津玄師はなぜ「ハイヒール」を履いている? “Lemon”のMVに隠された謎を解き明かす

米津玄師はなぜ「ハイヒール」を履いている? “Lemon”のMVに隠された謎を解き明かす - Pic by Taro MizutaniPic by Taro Mizutani
2月27日、米津玄師の新曲“Lemon”のMVが、公開からわずか13時間で100万回再生を突破した。米津はこれまで24時間で100万回再生を記録したことがあったが、今作で自身の持つその記録を更新する結果となった。放送中のドラマ『アンナチュラル』の主題歌として広く世に知られることとなった“Lemon”は先行配信も好セールスを記録。シングル発売前の段階ですでに楽曲のファンが多くいること、また、映像自体が考察しがいのある内容であることが再生数伸長の大きな理由だろう。実際、ファンの間ではそれぞれの仮説に基づいたやりとりが活発に行われており、SNSで盛り上がりを見せている。MVのテーマは「レクイエム」。教会を舞台にした映像は少しレトロで、画面の左右に黒い帯が入っていることにまず目がいくが、その辺りは『BOOTLEG』以降歌謡曲が米津のマイブームになっていたこと、そして彼の中にある「古いものこそ美しい」という感覚とリンクしている部分だろう(参考:『ROCKIN’ON JAPAN』4月号)。


MVでよく見かける小節・拍に合わせてアングルを切り替える手法(“春雷”がそうだった)もほぼ使用していなければ、楽器の旋律と同じリズムで被写体が動くような場面もない。そのことから、今回のMVに関しては、リズムやビートなどの縦ラインを強調し、聴き手の意識を前に運ぶような意図はそれほどないのでは考えられる。また、約4分半の間米津自身はほぼ動かず、動的な表現をダンサーという外部要因に託している。それらは、進むどころか立ち上がることすらままならないほどの「悲しみ」を体現している。曲の構成的には最初の盛り上がりポイントであるはずの1番サビ(1:01~)の前半が、米津(と背後のダンサー)の表情を捉えるのみで終わっているのもまた象徴的だ。最初のサビでここまで動きのないMVは珍しい。

映像は、教会の椅子に腰かけ歌を捧げる米津と、女性ダンサーの舞いを対比させるようにして進んでいく。中盤(2:32~)には女性が米津の目の前で踊る場面もあるものの、ふたりが交わることはなく、米津は無反応のままだ。女性が人前から突然いなくなってしまう描写(2:10)もあるため、おそらく彼女はすでにこの世にいない存在として描かれているのだろう。“Lemon”には《今でもあなたはわたしの光》というフレーズが何度か登場する。ここで言う「あなた」=「光」がこの女性の存在だとするならば、監督・山田智和氏の「現実を覆う光は複雑に重なり合って、見え難かったり、直視出来なかったりするのだけれど、今でも確かに輝く、綺麗な光が僕にも見える時があります」というコメントもかなりしっくりくる。私たちは亡くなった人のことを「心の中で生きている」というふうに言うことがあるが、それを映像という形で美しく表現したらこのようになったのだと思う。

切り分けた果実を分け合うように、米津は、その女性と同じハイヒールを履いていた。諸説あるが、ハイヒールは中世のヨーロッパで汚物を踏まずに歩くために生み出された靴であり、そうではなくとも、現代では、毅然とした姿勢で歩いていく女性を表すモチーフとして様々な作品内で用いられている。ゆえに米津の履くあのハイヒールは、「あなた」のことを忘れられない気持ちと悲しみに塗れた道の上でも「歩いていかなければ」というまっすぐな意思、両者の間における葛藤の象徴なのではないだろうか。

「悲しみ」を忘れる必要なんてないし、すぐに前を向けなくてもいい。しかしいつの日か歩き始めた時には、その「光」があなたの歩みを支えてくれることだろう。そう伝えてくれる“Lemon”というレクイエムは、確かな希望を静かに歌う歌だ。(蜂須賀ちなみ)
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