米津玄師は天才肌の音楽家であると同時に、言葉と思考の人でもある。身近な生活から哲学的ともいえる大きなテーマまで、彼はすべてをどこまでも深く考え、そしてその思考を作品に刻みつけてきた。それはインタビューでの発言も同じだ。自分自身が今何を考え、どうありたいと思うのか――あまりにも率直な言葉の数々は、表現者・米津玄師の現在地を指し示すとともに、この時代を生きることの苦しさや喜びをもあらわにする。その言葉たちは、彼の音楽と同じように僕らの心をゆさぶり、そして救ってくれるものだ。なぜ彼が唯一無二の存在としてあり続けるのか、その答えの一端を感じてほしい。(小川智宏)
①僕は周りにいる人間を常日頃バカにしてるんですよ。
バカにすればする程、自分をバカにするっていうことになっていくと思うんですけど
(『ROCKIN'ON JAPAN』2012年7月号/アルバム『diorama』インタビュー)ボーカロイドクリエイター「ハチ」としてニコニコ動画などでオリジナル楽曲を発表、すでに数々のヒット曲を生み出していた米津。初めて本名で発表したアルバム『diorama』。細部に至るまで徹底的に構築された世界観と物語は、センセーショナルなまでの衝撃を音楽シーンにもたらした。この発言はそんな『diorama』を引っさげて『ROCKIN’ON JAPAN』に初登場したときのもの。今とは明らかに違うモードだが、世の中や他者と距離を置きながら、同時にそんな自分を冷静に客観視する視点は、米津玄師の変わらない核のような部分だと思う。
②人間の伝えたいことって、最後には「飯が食いたい」とか「誰かと話したい」とかに行き着くと思うんです。それ以外は全部嘘なんじゃないかなって
(『ROCKIN'ON JAPAN』2012年8月号/アルバム『diorama』インタビュー)まるでとんでもない高みから見渡すように、人間という存在と表現の本質を射抜いたこの言葉。「飯が食いたい」という生物的欲求と「誰かと話したい」という社会的欲求こそが人間なのだというその指摘は、『diorama』というアルバムでひとつの「世界」を箱庭のように作り上げたからこそ生まれたものだ。彼の音楽が魂を揺さぶるような衝撃と畏怖の念を抱かせるのは、このように「本当のこと」にまっすぐに向き合うアーティストの本能があらゆるものを暴き立ててしまうからにほかならない。
③幸せに生きるっていうのは自分の心を引きちぎることなんですね
(『ROCKIN'ON JAPAN』2013年12月号/シングル『MAD HEAD LOVE / ポッピンアパシー』インタビュー)表裏一体のように好対照の2曲を並べたメジャー2作目にして初の両A面シングル『MAD HEAD LOVE / ポッピンアパシー』。ふたつの曲はまったく違うテイストと温度をもちながら、中庸からはるかに逸脱したものを鳴らしているという意味では実は同じものを見据えている。この言葉は気を抜けばちょうどいい「幸せ」に落ち着いてしまう人間への米津からの警告であり、彼の表現者としてのカルマを如実に物語る「告白」でもある。
④俺はずっと、普通の人になりたかった
(『ROCKIN'ON JAPAN』2015年11月号/2万字インタビュー)半生を振り返る「2万字インタビュー」で、米津はそれまであまり明かしてはこなかった自身の過去を赤裸々に語っている。そこで語られた言葉たちによれば、米津はずっと言いようのない違和感を感じながら生きてきた。その違和感とは言葉を変えれば「彼自身と他者との距離感」であり、それを乗りこえて「普通の人」になりたいと彼は願ってきたのだ。それは「普通じゃない」人に憧れを抱くいわゆる「中二病」とは正反対の態度だし、そうやって世の中とのつながりを探し続けるということが、彼の表現のなかにはずっと貫かれているように思う。
⑤人間は美しいものだとか、思いやりがあるものだとか、小学生で習う道徳から一歩も出てきてない人は人間を舐めてるんだと思う
(『CUT』2015年12月号/アルバム『Bremen』インタビュー)力強く新たな一歩を踏み出した3rdアルバム『Bremen』。その根底にあるのは、既存の概念や常識に呑み込まれるのではなく、自分の手で自分の信じるべきものを見つけ出そうとする固い意思だ。その意思はシビアな現実や残酷な真実を暴き立てながらまっすぐに突き進む。そしてその行き着く先は「人間とは何か」という大きな問いへとつながっている。この発言はそんな米津の信念が痛いほど滲んだものだ。お仕着せの価値観や道徳観にノーを突きつけながら、より透徹した目で真実を見ようとする表現者の姿がここにはある。
⑥俺にとって、自分を作り替えていくのが「生活する」ということなんです
(『CUT』2017年9月号/米津玄師とハチ、ふたりの米津玄師)2017年7月、米津は実に約4年ぶりにハチとしてボーカロイド曲を制作、発表した。なぜ彼は「ハチ」ではなく米津玄師として新たな表現へと進んでいったのか。そして、にもかかわらずなぜこのタイミングでハチの作品を世に問うたのか――。それは単にクリエイターとしてのペルソナを変更するということではなく、もっと根源的な人間・米津玄師としての生き方の問題だったということが、この発言からもわかるだろう。常に自分自身を批評し、作り替えていくことこそが「生活」なのだという述懐は、「どう生きるか」という巨大なテーマに直結している。
⑦過剰なオリジナル信仰に対するファックの気持ちがすごく高まってた。「おまえらが言う本物って、じゃあ一体なんなの? 教えてくれよ俺に」って
(『ROCKIN'ON JAPAN』2017年11月号/アルバム『BOOTLEG』インタビュー)音楽にかぎらず、過去の自分も含めた他者が生み出した作品へのオマージュやリスペクトが注ぎ込まれたアルバム『BOOTLEG』。「海賊版(海賊盤)」を意味するタイトルが象徴するようにさまざまなモチーフを取り込んだこの作品が生まれた背景には、こんな米津の思いがあった。オリジナルだからといって「本物」とはかぎらない。逆にいえばオリジナルか否かという問題に振り回されるのではなく、自分自身がこれだと決めた道を信じて進んでいくことでしか「本物」にはたどり着けない。このアルバムで貫いているのはそんな思想だ。
⑧自分のエゴが相手にとっても美しいものであるために、相手をどう愛せばいいのか深く考えていました
(『CUT』2017年12月号/アルバム『BOOTLEG』インタビュー)かつて「周りにいる人間を常日頃バカにしてる」と語っていた米津が、「愛する」とはどういうことか、そしてその関係性の中にあって自分自身はどうあるべきなのかというテーマにたどり着いたこと自体が、表現者としての深化を物語る。この発言に刻まれているのは、彼の表現のなかに常にあった「他者」の存在が、対立すべきものではなく共存すべきものに置き換わった瞬間だ。しかしそのために「自分を殺す」のでも「相手に合わせる」のでもなく、あくまで「エゴ」が出発点であるところに、彼の語る「愛」の独特さはある。
⑨「結局、死ぬって何なんだろうな」って考えながら深海に潜って、また浮いてきて。残ってるのは、「人は死ぬと悲しい」っていうことしかなかった
(『ROCKIN'ON JAPAN』2018年4月号/シングル『Lemon』インタビュー)記録的ロングヒットとなり、名実ともに米津玄師の代名詞となった“Lemon”。生と死というあまりにも大きな命題に向き合いながら紡がれていったこの曲を通して彼が手にしたのは「人は死ぬと悲しい」というシンプルな答えだったわけだが、それも深く考え抜いた結論であるからこそ意味をもつ。あらゆるものごとを自分の側に引き寄せて消化しようとする米津の表現者としての真摯さがうかがえる言葉だ。“Lemon”がこれだけ多くの人々に受け入れられたのは、そうした思考の果てにこれしかないという普遍性にリーチできた結果だった。
⑩我を忘れる、正気じゃいられないような瞬間がずっと欲しかった
(『ROCKIN'ON JAPAN』2019年10月号/シングル『馬と鹿』インタビュー)ドラマ『ノーサイド・ゲーム』の主題歌として書き下ろされた“馬と鹿”はその手触りにおいてそれまでの米津の音楽とは明らかに異なっていた。そこには泥まみれの人間の姿があり、肉体が感じる痛みがあり、そしてそれを乗り越えていくタフな情熱がある。それこそが米津がずっと求めていたものであり、彼が音楽に見出した新たな喜びでもあった。それはもちろん楽曲のモチーフやテーマから導き出されたものだが、それ以上に、これまで積み重ねてきた表現の先でたどり着いた必然だ。米津玄師の音楽は、こうしてますます根源的で本質的なほうへ突き動かされているのだ。