菅田将暉の人生はなぜ“茜色の夕日”で変わったのか? 『PLAY』初回盤DVD収録のドキュメンタリーからひもとく

菅田将暉の人生はなぜ“茜色の夕日”で変わったのか? 『PLAY』初回盤DVD収録のドキュメンタリーからひもとく - 『PLAY』初回生産限定盤『PLAY』初回生産限定盤
1stフルアルバム『PLAY』を聴いて、菅田将暉の音楽表現の根本にあるのはまぎれもなくロックであると感じている。歌のうまさとか、自身の音楽ルーツがしっかりロックに根ざしているとか、そういうことでは全然なくて、歌で表現するべきもの、歌の持つエネルギーやその本質がどういうところにあるのか──ということを本能的にわかっている人の歌だという気がするからだ。だからこそ、菅田が音楽をやるということ、歌うということにはまったく無理やり感もなければ、背伸びをして気取った演奏を聴かせようという余計な色気もない。聴くものにとって「歌」とはどういうものであるのか、その「歌」を聴かずにはいられない切実さをちゃんとわかっているからこそ、彼の音楽は意外なほどにこちら側の胸を打つ。そこに明確に音楽への衝動が息づいている。

アルバムは米津玄師、渡辺大知(黒猫チェルシー)、秋田ひろむ(amazarashi)、石崎ひゅーい、柴田隆浩(忘れらんねえよ)、飛内将大など、多くのミュージシャンの力を得て、それぞれに素晴らしい曲が完成した。さらに、何気なく聴き流すことなどできない、菅田将暉ならではのカバー曲が2曲収録されていることにも注目したい。ひとつは映画『火花』の主題歌で桐谷健太と共演した“浅草キッド”。こちらは役者・菅田将暉の延長線上にある音楽表現でありながら、若さとやるせなさが原曲とはまた違った肌触りで伝わる名カバーだと思う。そしてもうひとつ、フジファブリックの大名曲“茜色の夕日”である。志村正彦が歌うこの楽曲こそが、菅田は、自身が音楽に触れた原点だと言う。

そもそも19歳になるまで積極的には音楽を聴いてこなかったという菅田。そんな彼が、2012年、主演映画『共喰い』(2013年公開)の撮影中に、何度も繰り返し聴いたというのが、この“茜色の夕日”だったのだ。彼はなぜこの曲を何度も聴いて、音楽の持つ力に目覚めたのだろうか。そのヒントが、今回のアルバム『PLAY』の初回生産限定盤に収録されている『5年後の茜色の夕日~北九州小旅行ドキュメント映像~』というドキュメンタリー映像に収められている。『共喰い』の撮影から5年の歳月を経て、菅田自身がそのロケ地であった北九州・門司の港町を再び訪れるというものだ。『共喰い』はいわば、役者としての菅田将暉にとっても原点と言える作品。その映画と向き合いながら、19歳の菅田将暉が様々なことに思いを巡らせていたことは、この映像に映る彼の表情や言葉から感じ取ることができる。東京から遠く離れた港町にいる──そのこと自体は心地好く、町の景色、通りの風景はどこかなつかしいし、温かい気持ちにもなったことだろう。しかしそこで流れる時間は、逆に都会にいる時よりもっと、自分のこれからのことや、自分の居場所は一体どこなのかというようなことを考えさせるものだったのかもしれない。

「(この通りの風景も)こうやって俺らが都会から来ると心地好いけど、ここにいる人からしたら、もう毎日見てるからうんざりだって──その感じも“茜色の夕日”なんです」と語っていたのが印象的だった。地方から東京を見るその視線は、大阪から東京へと出てきた本来の彼自身のものと重なる。これからどこへ行こう、どこへ行くべきなのか、見えない未来を決して明るいだけの気持ちでイメージすることはできない19歳は、だからこそ“茜色の夕日”に共鳴した。《東京の空の星は見えないと聞かされていたけど/見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ》なんて歌う志村正彦の歌が、彼の心にどれだけの力と癒しを与えたことだろう。この原点の地でもう一度、菅田自身がその思いを確認するかのように、アコースティックギターを弾きながら“茜色の夕日”を歌う様子がドキュメンタリーの最後には収められている。むき出しの歌だ。音楽に触れて自身も歌わずにはいられない、飾り気のない純粋な衝動がそこにある。

「大袈裟なことを言うと この一曲で人生が変わったのかもしれません」。
エンディング画面に流れてくる菅田のメッセージには、こんな一文もあって、やはりそうなのだと思った。菅田将暉の歌は、音楽から受け取ったもの、その重みを知る人が奏でる音楽なのである。フジファブリックの“茜色の夕日”が、一人の人間の人生を大きく変えてしまった。改めてロックミュージックの力を思い知ると同時に、菅田将暉の感性こそが、その転機を呼び寄せたのだと思わされる。それほど彼の生歌は無防備で繊細で力強かった。(杉浦美恵)
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