結成22周年、メジャーデビュー20周年を迎えるくるりは、音楽の漂泊者としてそのキャリアを歩んできた。高度な音楽理論と刺激的なサウンド、日本語の歌を耳馴染みよく響かせるソングライティングの技術が詰め込まれた『さよならストレンジャー』から『図鑑』の頃に確固たる評価を得ながらも、次々と大胆に作風を変化させ、音楽シーンのストレンジャーたる立場に身を置き続けてきた。現代ポップミュージックにおける「オルタナティブ」の意味は、今や形骸化して特定の時代の特定の作風を指す言葉に成り下がってしまったけれども、くるりというバンドは常に、過去のくるりに対して真摯にオルタナティブであり続けてきたのだ。
極めて情緒的なロックソングに、テクノやエレクトロニカの表現方法を取り入れてアップデートさせた『TEAM ROCK』や『THE WORLD IS MINE』。米国から新ドラマーを迎え、それまでには見られなかったオーセンティックでパワフルなロック路線を志向した『アンテナ』。2005年の『NIKKI』では、R&B/ビートロック路線の弾けたエネルギーにより、くるりの率直に響くポップセンスが新たな扉を開けることになる。
『ワルツを踊れ Tanz Walzer』とライブ盤『Philharmonic or die』では、クラシックの素養がロックサウンドの中で目一杯花開き、シーンに衝撃をもたらした。後の岸田繁による交響曲作品は、この時期の作風が大きな礎となったことだろう。2009年の『魂のゆくえ』と翌年の『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』では、一転してロックオーケストラのサウンドを封印するものの、世界中のトラッドミュージックのメロディやサウンドの息遣いが、くるりのポップ世界を一層豊かに色づかせてゆく。
『坩堝の電圧(るつぼのぼるつ)』は、衝動的かつ肉感のあるサウンドで、くるりの奔放なソングライティングを思い切りよく解き放ってみせた。そして2014年の『THE PIER』は、「桟橋・埠頭」というタイトルが示すように、フィジカルなバンドサウンドもテクノロジーも、古今東西の音楽表現すべてが出会い丹念に折り重ねられた傑作だ。音楽の漂泊者であるくるりは、何度でもシーンに金字塔を打ち立てながら、決してそこに寄りかかることなく、また身一つで旅に出る。そんなキャリアを歩んできたのである。
ざっくりとではあるが、ここまで書けばくるりというバンドの「音楽性のつかみどころのなさ」は理解してもらえるだろう。彼らの新曲やアルバムが届けられるたびに、我々は込み上げるような驚きと喜びを同時に味わってきた。そして新作『ソングライン』とは、ある特定の時期のくるりを思い出させるのではなく、彼らのそんな足跡と活動意図について「これこそがくるりだ」という確信を抱かせるアルバムになっている。ヒントになるのは例えば、6月にカセットリリースされていたシングル曲“だいじなこと”だ。
《いちばんだいじなことは/誰も知らないことなんだ/あれもこれもだいじなようで/時が過ぎれば消えてゆく》
アルバム『ソングライン』では、桟橋を遠く離れた大海原の、また長く続く線路の上の、あるいは膨大な情報が流れてゆく画面の中の、絶え間ない移動のイメージを伝える歌がズラリと並んでいる。過去にどれだけ名曲を生み出しても、それらによって今の自分たちが抱えた問題が解決し、迷いが晴れるわけでなはい。どこか安住の地に辿りついたわけでもない。あてどない旅は続く。しかし、そのことを懸命に歌に紡ぐ彼らの姿は、なんて心強いのだろう。
岸田の歌の節回しは、個人として思いの丈をぶちまけるというよりも、かつてないほど優しく、歌を歌として大切に手渡すような響き方をしている。《遠くて見えないな/近くも見えないな/目を瞑れば浮かび上がってくる/泣いてるあなたの気持ち》。アルバムの最終ナンバー“News”の最後のセンテンスで、彼はそう歌った。
“東京”も“ワンダーフォーゲル”も“ハイウェイ”も“さよならリグレット”も“everybody feels the same”も、いつしか多くの人々のあてどない心の支えとなり、道標になった。それはまさに、情報だけは抱えきれないほど抱えているくせに何もわかっていない、現代を生きる我々のソングラインだ。音楽の漂泊者くるりは、音楽を奏でる使命をはっきりと自覚したのだ。音楽が手渡されることのこの上なく大きな価値と喜びが、アルバム『ソングライン』には詰まっている。(小池宏和)
関連記事はこちら。