80年代のデヴィッド・ボウイの音源をまとめた新たなボックス・セット『ラヴィング・ジ・エイリアン [1983-1988]』が、10月24日にリリースされる。
『ロッキング・オン』11月号では、同ボックス作品にも収録される、ボウイ最大のヒット・アルバムでもある『レッツ・ダンス』の制作背景などに迫ったドキュメント記事を掲載している。
『レッツ・ダンス』のプロデュースを手がけ、当時ボウイとアルバムの制作に向けて様々な音楽を聴いていたというナイル・ロジャースだが、ある時、ボウイが「真っ赤なスーツに身を固めたリトル・リチャードが、真っ赤なキャデラックに乗り込もうとしている写真」を掲げてみせてきたという。
「僕はこういうアルバムを作りたいんだよ」とボウイに言われたナイル・ロジャースは、その時のことを以下ように語っている。
その写真を見た時、俺には彼が、決してリトル・リチャードそのものみたいなレコードを作りたいと思ってるわけじゃない、ってことが即座に分かった。この頃にはもうボウイの思考パターンみたいなものが把握できてたからね。
あの写真はまるっきり時代を超越しているように見えた。それで言ったんだ、「ああ、あんた本気でヒット・レコードを作りたいんだな」って。だってヒット・レコードっていうのはみんなそういうもんだろ。OK、デヴィッド、任せとけ。
また、1980年12月にジョン・レノンが射殺された際、事件当日の夜のボウイの行動について、当時ボウイのバンドのギタリストであったカルロス・アロマーは、以下のように答えた。
あの時の彼はとにかくぶっ壊れてたよ。「何か手に入れてきてくれないか?」って言われてね。でも俺は彼に渡された金を持って、そのまま家に帰った。彼には一切何もやらせないようにしてね。
人間生きてたら、ごまかしちゃいけない痛みって必ずあるもんなんだ。ちゃんと生身で一切合財受け止めなきゃならないこともあるんだよ。
そして、1983年、アルバム『レッツ・ダンス』をリリースすると、大規模な「シリアス・ムーンライト・ツアー」をスタートさせたボウイ。
全世界で1000万枚のセールスを記録した『レッツ・ダンス』と「シリアス・ムーンライト・ツアー」によって、スーパースターとなったボウイ。この1年の間に、約5000万ドルを稼ぎ出した彼は、以下のようなコメントを残している。
70年代に僕を通り過ぎて行ってた金が、突然みんな戻って来たみたいだったね。
記事ではその他にも、当時のボウイのバンド・メンバーであったカーマイン・ロハスや、レコーディングでバッキング・ボーカルの一員として参加していたフランク・シムズらの証言も掲載されており、この時期ボウイが一体何を考え、どう行動していたかが鮮明に分かるような記事となっている。
ヒット・アルバムでありながら、本人を悩ませ続けてもいたという80年代の代表作『レッツ・ダンス』。
80年代のボウイを紐解く同ドキュメントの全貌は、『ロッキング・オン』11月号で確認してみてほしい。
デヴィッド・ボウイの特集記事は現在発売中の『ロッキング・オン』11月号に掲載中です。
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