本作には吉岡自らセレクトした11曲を収録。そのなかには“糸”(中島みゆき)、“夢で逢えたら”(大瀧詠一)など、これまで様々なアーティストにカバーされてきた定番曲もあるため、奇を衒った選曲というよりかは、王道を行ったような印象だ。“ヘイヘイブギー”(笠置シヅ子)から“アイネクライネ”(米津玄師)まで、楽曲の生まれた年代は多岐にわたっているほか、いきものがかりでは歌ってこなかった全編英詞の楽曲にもトライしている。
カバー曲の注目すべきポイントといえば、「カバーする側の色がどの程度出るのか」という点である。例えば、自分たちの持ち味を存分に発揮するために大胆なアレンジを施す人もいれば、元々その曲を歌っていたアーティストに対するリスペクトを込めて極力原曲に寄せようとする人もいるだろう。どちらにせよ、自分もしくは元々歌っていた人という「人」基点の考え方であるように思う。
それを踏まえ、本作を聴いてまず思ったのは、吉岡の場合はそのどちらでもなかったのだということ。強いて言うなら「歌」基点のアプローチだろうか。それぞれの楽曲をニュートラルな目線で捉え、はっきり、まっすぐ、歌うということ。それにより、例えばメロディの美しさ、リズムの面白さ、歌詞の秀逸さといった楽曲そのものの魅力が浮き彫りになるのだ。
思えば、いきものがかりは、自分たちの感情を曝け出すようなことをあえて排し、聴き手が心を預けることのできる器としての楽曲作りに集中してきたグループだった。そのやり方が本作でも踏襲されているのだろう。水野良樹・山下穂尊が作る、いわば当て書きであったいきものがかりの楽曲とはまた違い、今回カバーした楽曲には、様々な人々に親しまれ、時には歌われてきた歴史がある。強い個性、独自の「色」を持つそれらを再び透明に染めることができたのはボーカリスト・吉岡聖恵だからこそだ。
アクの強いアプローチがなされているわけではないが、どの曲を聴いても一発で吉岡の歌だと分かるのはおそらくそのためだ。それにしても、透明であること自体が彼女独自の個性になっているだなんて、なんというパラドックスだろうか。J-POPの面白さはこういうところなんじゃないかなと、改めて思った。(蜂須賀ちなみ)