ディープ・パープルのイアン・ギランが、1983年から1984年のブラック・サバス時代に制作した唯一のアルバム『悪魔の落とし子』の誕生秘話を明かしている。
「Blabbermouth」によると、イアンがインターネットラジオ局「SiriusXM」のインタビューに答えた際、サバスのトニー・アイオミとギーザー・バトラーと一緒に英オックスフォードのパブに飲みに行ったことですべてが始まったと、以下のように語っていたとのことだ。
何がきっかけもなにも、ある夜僕らが酔っ払ったから。それが理由だよ。トニーとギーザーと飲みに行って、最終的に僕らはテーブルの下にいた。それ以外は何も覚えていないんだ。
でも翌日にマネージャーから電話があって、「あんな決断をするんだったら俺に連絡するべきじゃなかったのか?」って言われてさ。「何の話だよ?」って聞き返したら、「君が……いや、今さっき電話をもらって、君がサバスに参加することになったって聞いたけど」って言われたのさ。それがすべてだよ。
結果的にブラック・サバスの活動は1年で終えたイアンだが、当時ディープ・パープルの活動が滞っていたこともあり、最初から1年の計画でサバスとアルバムを制作してツアーをすることに決めたのだとも明かしている。
英オックスフォードシャーのManor Studiosで録音された『悪魔の落とし子』は、1983年8月にリリースされた。
さらにイアンは、『悪魔の落とし子』の制作は彼にとっての『ジーザス・クライスト・スーパースター』(アンドリュー・ロイド・ウェバーのロック・オペラ)、もしくはルチアーノ・パヴァロッティとオペラを歌うぐらいにチャレンジングな経験だったが、「素晴らしい作曲家」であるトニー・アイオミとのコラボは仕事がしやすく、お気に入りの楽曲は“Trashed”だとも明かしている。
なお、イアン・ギランが唯一サバスとコラボした同アルバムは、ドラマーのビル・ワードがメンバーとして参加した最後のアルバムでもある。