【ロッキング・オンを読む】クイーン特集、完全ディスコグラフィー後編 :『ザ・ゲーム』から『メイド・イン・ヘヴン』まで【全文公開】

【ロッキング・オンを読む】クイーン特集、完全ディスコグラフィー後編 :『ザ・ゲーム』から『メイド・イン・ヘヴン』まで【全文公開】 - 『rockin'on』2018年12月号より『rockin'on』2018年12月号より

『ザ・ゲーム』(1980年)

「大胆な音楽性の変革と全米での高評価」

【ロッキング・オンを読む】クイーン特集、完全ディスコグラフィー後編 :『ザ・ゲーム』から『メイド・イン・ヘヴン』まで【全文公開】

様々な世代に愛されているクイーンの作品群にあって、長らく評価を大きく分けていたのがこのアルバムだろう。バンドとしての音楽性の過渡期、そしてマーケットを世界へと広げていく過渡期に制作された作品。1980年という時代そのものがまさに過渡期にあったわけで、このアルバムほど、初めて手にしたタイミングや、クイーンの中で何番目に聴いたかによって、リスナーの評価が分かれる作品もそうそうないと思う。ただ、そうした時代・世代による先入観を一旦消し去って聴いてみてほしい。改めて一枚通して聴いてみると、彼らの作品の中でも佳曲揃いの非常に優れたアルバムであることがよくわかるはずだ。70年代から80年代へ――バンドが初期クイーン・サウンドから、新たな道を積極的に模索し始めた作品だと言える。

まずこのアルバムに先駆けて、“愛という名の欲望”をシングルでリリース。これまでのクイーンからは想像もつかなかったシンプルなロカビリー・サウンドに、ファンは度肝を抜かれたことだろう。フレディはしかし、このシングルが全米でもNo.1の大ヒットを記録し、好評価とともにリスナーに受け入れられたことを確認すると、大胆な変革にも確信を得たのだろう。シンセ・サウンドを取り入れた“プレイ・ザ・ゲーム”で幕を開ける本作は、明らかにクイーンの新章を印象付けている。その後シングル・カットされた“地獄へ道づれ”は、ナイル・ロジャースばりに洗練されたカッティング・ギターやタイトなドラムにも驚くが、今聴いてもやはりクイーンとしては異質の楽曲であったと思う。しかしこちらも全米No.1ヒットを記録。ポップ・チャートのみならず、ソウル部門、ディスコ部門でもNo.2にチャートインするといった異例の展開もあり、バンドがさらに支持層を拡大していったことを裏付ける。

アルバムとしての明確な統一感こそないものの、新たな扉を開けようとするオープンなポップネスに貫かれた楽曲たちは、40年弱の時を経た今もなおフレッシュ。その後の80年代のポップ・ミュージックやロック・シーンを思えば、フレディの「時代の先を読む目」の確かさを感じずにはいられない。結果、この『ザ・ゲーム』は彼らのオリジナル・アルバムとしては全米で最高売上を記録し、アメリカ進出も見事成功へと導くこととなった。(杉浦美恵)

『フラッシュ・ゴードン』(1980年)

「クイーンこそが主役の傑作サントラ」

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クイーン初のサントラ作品。ザ・フーの『四重人格』を下敷きにした『さらば青春の光』のように、音楽ありきでロック・バンドのアルバムがサントラになった例は過去にもあるけれど、映画ありきでロック・バンドがハリウッド大作のサントラを全編手がけたのは80年当時、超希少例だった。そしてそれはクイーンだからこそ可能な前人未到のチャレンジであったことが、本作を聴くと理解できる。前作『ザ・ゲーム』からわずか半年でリリースされたのは驚きだが、バンドの持ち味を軽量化して臨んだ例外作ではない。むしろ、SFアクション作『フラッシュ・ゴードン』の世界のど真ん中を射抜くべく構築された、クイーンの持ち味が100%発揮されたアルバムなのだ。

80年代の幕開けと共にシンセサイザーを大胆に導入し、大きく方向転換した『ザ・ゲーム』からの流れは本作でも踏襲されており、むしろここではシンセこそが主役だ。豪奢なシンセのレイヤーと重厚なギター・オーケストレーションが縦横無尽にうねる、その過剰にしてど迫力なインスト・チューンの数々(ボーカル曲は“フラッシュのテーマ”と“ザ・ヒーロー”のみ)は、ブライアンとラインホルト・マックの極めて緻密な設計図があってこそだし、ハワード・ブレイクのオーケストラ・アレンジも含めて、破天荒と理性の絶妙のバランスがSF映画に相応しいAR的効果を生み出しているのだ。劇中のセリフを幾度も挟み込んでいく構成も、元来シアトリカルな展開を得意としてきたクイーンにとっては、お手の物だっただろう。(粉川しの)

『ホット・スペース』(1982年)

「失敗作? せめて異色作と呼びたい意欲作」

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一般には失敗作とされているが、自分にとっては初めてリアルタイムで接した作品で、めちゃくちゃ聴き倒した大好きなアルバム。リード・シングル“ボディ・ランゲージ”のシンセベースを一生懸命に耳コピしてエレクトーンで弾いたりもした。ボウイとのデュエット・ナンバー“アンダー・プレッシャー”も含め、たぶん今でも全曲を歌えると思う。

リリース時に評判が悪かった理由としては、“地獄へ道づれ”の全米ヒットを受けてブラック・ミュージック路線を押し出しすぎ、予想外に反発が大きかったことがあげられる。決して全編ソウル/ファンク一辺倒ではないのだが、先行シングルと1曲目が強調したイメージは大きかったようだ。また、“ボディ〜”ではセクシー要素を爆発させたことも、やりすぎと感じられたのかもしれない。エロティックな題材は、“ゲット・ダウン・メイク・ラヴ”のような楽曲にのっかっている分には問題なかったが、それをムチムチぶりぶりにやったら、みんなちょっと引いてしまったのだ。日本のテレビでは結構よく観たビデオ・クリップが、海外では放送禁止になったのも痛かった。

クイーンの表現は、華美で幻想的なサウンドの一大劇場を築き上げ、情念とかエロスはそこで芝居がかって演じられる領域のものであり、あまり生々しくリアルな距離感で迫られても困惑してしまうのかも、と今さらのように思った。でも、地味に良曲がいっぱい入ってるし、実はマイケル・ジャクソンの『スリラー』にも影響を与えたという本作、ぜひ聴き直してみてください。(鈴木喜之)

『ザ・ワークス』(1984年)

「80年代に、愛と平和を陳腐にならずに歌えた存在」

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不発気味に終わった前作に比べ、復調を見せた11作目だが、慌てて過去の作風に戻したというような印象はさほどない。レディー・ガガの芸名の由来になったというヒット・シングル“RADIO GA GA”は、ハード・ロック回帰どころか完全に80sシンセ・ポップだったりするし、しかもこれがロジャーの書いた曲だというのが、彼らの音楽的な懐の深さをあらためて実感させる。古き良き時代のラジオへの想いをテーマにした同種の曲は、バグルスの“ラジオ・スターの悲劇”、エルヴィス・コステロの“レイディオ、レイディオ”、R.E.M.の“ラヂオ・ソング”など結構あるが、コステロやR.E.M.はかなりキツめの批判的な内容。そこまでではないバグルスも「kill」という言葉を使っていて、それなりに冷徹な印象を与える。それがクイーンの場合は、ビデオで古典映画『メトロポリス』を引用しているところに(“マシーン・ワールド”ではもっと直接的に歌われているような)メッセージ性も感じさせつつ、あくまで優しく《ラジオよ、ごきげんいかが? まだ君を愛してる人がいる》と歌い上げるのだ。

この、なんというか慈愛にも似た精神性を、パンクのニヒリズムを通過した後の80年代に体現できたのは、フレディしかいなかったという気がする。実際、本作が出た翌年に行なわれたチャリティ・イベント=ライヴ・エイドで、どうにも欺瞞を感じずにはいられない雰囲気の中、クイーンが堂々と圧倒的なパフォーマンスをやりきってみせた事実はそれを象徴している。往時には徒花のような存在と思われていた彼らだけが、「ニヒルになんかなっていられない」という切実さを有効にでき、能天気とかお花畑とかの揶揄を許さない説得力を自然に備えていたのは興味深い。“ブレイク・フリー(自由への旅立ち)”が南米諸国などで圧政への抵抗を歌うアンセムとなったのも、それと無関係ではないだろう。そして、同曲のビデオでは何故かメンバー全員が女装して登場する事実に、これこそクイーンだなあ、と不思議な感慨を呼び起こされたりもする。

前作でギターの音を絞られたことにブライアンが不満を抱くなどの険悪な空気を引きずって制作されたため、そこかしこにバラバラな印象も残るが、それでも維持された不思議なハーモニーは好リアクションを呼び込み、ついには大逆転でバンドの結束を蘇らせたのだった。(鈴木喜之)

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