NUMBER GIRLの「始まり」と「未来」が語られた向井秀徳の上京物語を観て

「福岡の色街に住んでる私が、そこからさらにトーキョーシティという、大きな光の中に飛び込むっていうことに対して……大半はビビリですね。『俺はこの輝きに対抗出来るのか?』って」

BSフジ『TOKYOストーリーズ』(毎週火曜23:00〜)で先日オンエアされた向井秀徳のエピソードを視聴した方も、rockinon.comをご覧の方の中には多いと思う。

「平成上京物語」と題された前後編シリーズの前編で紹介された向井の「上京物語」(同じ回には渡辺直美も登場。ちなみに後編はパトリック・ハーラン[パックンマックン]とアイナ・ジ・エンド[BiSH])。
「実家の2階の一人部屋で、ピクシーズとかソニック・ユースとかジョン・コルトレーンとか聴いてウワーッてやってた」と地元・佐賀での高校時代の日々、すなわち「NUMBER GIRL前夜」を語っていた。

「福岡市博多区から参りましたNUMBER GIRLです」というお馴染みの向井の口上があるが、「実家が田んぼに囲まれた」向井にとっては、「地元・佐賀から都会(福岡)に出て、メンバーに出会ってバンドを結成し、メンバーとともにさらなる大都市(東京)へ」というふたつの「上京物語」を辿っていることになる。

「自分は田んぼの真ん中で、カエルの鳴き声を聴きながらいる人間である、と。『都会に相応しくない』――どっかでそういう気持ちがあるわけよ。つまり、『私は田舎モンだ』と」

そんなふうに佐賀時代を振り返っていた向井の言葉は、ネットもない時代の少年・向井の閉塞感、やがて自分も福岡という「街」に住みながら抱き続けていた畏怖を克明に伝えている。
その後、東芝EMI(当時)のディレクターが福岡を訪れ、東京進出へのきっかけを掴んでもなお、向井は激しく葛藤していたのである。俺は東京の輝きに対抗できるのか、と。

メジャーデビューに向けての楽曲制作の中で、向井がなぜ都会の輝きを《軋轢は加速して風景/記憶・妄想に変わる》(“透明少女”)と歌わずにいられなかったのか。どこまでもポップな構造とメロディを持った楽曲を、なぜあれだけの凄絶なバンドサウンドと音像と、渾身の咆哮をもって響かせなければならなかったのか――。
情報の速度よりも衝動と妄想のリアルに身を委ねるしかなかった時代と環境の中で、焦燥感と切迫感を抑え難く沸き立たせていた向井の胸中が、静かな語り口からも滲んでいた。

最後に、「俺生きとるしなあ。メンバー全員生きとるしなあ。生きとるうちに聴かしたろかと、生きてるんだからと」とNUMBER GIRL再結成への虚飾なき想いを語りつつ、向井は「久方ぶりにね、みんなで音合わせをしたんですよ」とNUMBER GIRLの近況を明かしていた。

「特に何の準備もせず集まって、カウントで始まった。そこにね……キラメキがほとばしった。福岡で一番最初にみんなで音を合わした時のキラメキと変わらない。そうなるとは思ってたけど……そうなるね」

結成当時22歳だった向井が、45歳の今「キラメキをずっと追い求めてるかもしれない」と口にした言葉はそのまま、鳴った瞬間に情熱と衝動の原点を響かせてくるNUMBER GIRLの音楽そのものだった。
あの季節が戻ってくる――そんな感覚が、よりいっそう明確に湧き上がってきた。(高橋智樹)
公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

最新ブログ

フォローする