2010年1月に発売された、サカナクションのセカンドシングル『アルクアラウンド』。アルバム『シンシロ』から約1年という、新人バンドにしては異例のブランクを空けてのリリースとなった。北海道から東京に移り、改めて「この地」でミュージシャンとして生きていく覚悟を歌ったと取れる歌詞は、激動の中で自分自身と徹底的に向き合った果てに書かれた決意表明だった。「自分の襟首掴んでノートに口にくわえたペンで書く」――山口自身が「殴り合い」と表現した歌詞との闘いは、思えばこのときから始まっていたのだ。毎度大変ですけど。なんなんすかね? 最近、曲作ってて思うんですけど、結局、僕は僕のことしか歌にできないし、それ以外のことを書くと小説になっちゃうし。恋愛してないから恋愛の曲書かないし。でもハンパじゃないですね、自分と向き合い続けて生活するのって。タバコを吸うのもお風呂に入るのも朝起きて水飲むのもトイレに行くのも、ちょっとそのへん歩こうかなって思うのも、全部自分から何か生まれるかもしれないっていうきっかけでしかないっていうか。みんなどうなんだろう?って思うんですけど。ベボベ(Base Ball Bear)の小出(祐介)くんにちょっとそんな話をしたら「それは病気だね」みたいなことを言われたんですけど(笑)。でもすごくわかってくれましたけどね。みんな、そういうもんだって。
(ここが)始まりでしたね。しかもかなり暴力的な始まりでしたね。ほんとに昔の自分の胸倉掴んで――5年前の自分の胸倉掴んで、1年前の自分の襟首掴んでノートに口にくわえたペンで書くみたいな。殴り合いでしたね。
(『ROCKIN’ON JAPAN』2009年12月号/“アルクアラウンド”)
アルバム『kikUUiki』の制作は、7分近くの長さを持つ複雑で壮大なこの楽曲のためにスケジュールが詰まり、最終的にアルバムが完成したのはリリースのわずか1ヶ月前だった。だが逆にいえば、この楽曲がなければ『kikUUiki』は完成しえなかったし、今のサカナクションもなかった。上記の山口の発言にもあるとおり、バンドの制作メカニズムが決定的に変わった瞬間であり、そのぶん以後の山口はソングライティング、とりわけ歌詞を書くという部分においてますますディープに潜っていくことになる。“目が明く藍色”って曲が今回入ってて、あの曲は僕がずっと昔から僕が温めてた曲で、9年前ぐらいから原曲っていうかアイデアはあったんです。それを実現するタイミングをずーっと待ってたんですけど「やるならこのタイミングだな」って。で、それをアレンジするのに僕個人的にむちゃくちゃ時間かかって「これだとアルバム作るの時間かかるな」って思ってた時に制作方法を変えて。今までは1人担当を決めてその人とマン・ツー・マンでやってたけど、今回は原曲作ってすぐみんなでスタジオ入って、ちょっと合わせて僕がいなくなって、アレンジがまとまりかけた時に僕が行って修正して、また僕が抜けて、ファイナルでメンバーの誰かが僕にプレゼントするっていうやり方にしたんです。
(『ROCKIN’ON JAPAN』2010年4月号/“目が明く藍色”)
音楽的にはハイパーなテクノサウンドと肉体的なリズムやコーラスが融合した、現在のサカナクションの端緒となったともいえる“ルーキー”。シングルとしての大衆性やバンド感と、孤独な心を痛いほどに見通した歌詞の内面性が正面からぶつかって燃えるような、奇妙な熱を帯びた楽曲である。ここに刻まれているのはサカナクションというプロジェクトがますますスケールアップしていくなかでその状況と表現者としての自身との折り合いをどうにかつけようともがく山口の姿だ。その格闘はその後“新宝島”にいたるまで、サカナクションのメインテーマであり続けている。“ルーキー”を作る上で本当に、いくつも折り重なる条件の一点みたいな部分で、どうしても言い当てなきゃいけない曲だったんですよね。説明しなきゃいけないっていう。うん……過激だけど「(決着をつけることが)できなかったら死ぬ」って言ってましたからね、僕。うん。難しかった、ほんとに。いろいろ犠牲にしましたしね。
(『ROCKIN’ON JAPAN』2011年4月号/“ルーキー”)
そもそもシングル曲となることを企図して制作が開始された“エンドレス”は、主に歌詞の部分で山口を苦しめ続け、紆余曲折を経てアルバム『DocumentaLy』のなかで重要な位置を占める楽曲となった。着手から完成までじつに8ヶ月。プライベートも含めてさまざまな悲しみに直面しながら産み落とされた歌詞は「今、この時代、この世界で音楽を作る意味」を正面から歌っているように思う。フェスに出演する当日、「そのあと5万人の前でステージに立つっていう内から外への極端な瞬間にできた」というタイミングは重要だ。山口は「『ここでか』っていう思いはありました」と述懐しているが、「ここ」、すなわちメジャーとマイナー、あるいは他者と自分、その交点にこそサカナクションの音楽はあるのだ。ちなみにここで山口が言っている「最もリスペクトしてたミュージシャン」とは、2011年7月に逝去したレイ・ハラカミである。俺が“エンドレス”の歌詞書いてる間に溜めてたエネルギーを一気に発散したっていうか。だから本当に“エンドレス”ができた瞬間にひとつ終わりましたもんね、あの曲ができた時の感動っていうのは、アルバムが完成した時よりもあった。ミックスが終わった瞬間に俺とエジー(江島啓一/Dr)はもう初めてだけどおもいっきり握手しましたしね。あんなこと今までなかったけど。何か僕の中ですごいドラマチックだったんですよ。あのタイミングでもう締め切りも過ぎてて。ROCK IN JAPANの出演当日で、もう次の日に歌録りしないと絶対間に合わないっていう状況で。書ける訳ないと思ってたけど書けてしまって。そのあと5万人の前でステージに立つっていう内から外への極端な瞬間にできたんだけど。それを書き終えた瞬間にアルバムの景色が見えた。あの曲は『ルーキー』の時からあったから、1月からやってて震災越えて、身内の死を越えて、最もリスペクトしてたミュージシャンの死も越えて「ここでか」っていう思いはありました。
(『ROCKIN’ON JAPAN』2011年11月号/“エンドレス”)
メンバーが山口の自宅に集まり、セッションを重ねて楽曲を作っていく制作スタイルは、この曲が収録されたアルバム『sakanaction』を通して貫かれたもの。その作り方、“ミュージック”という曲名、そしてアルバムのセルフタイトルにいたるまで、サカナクションは山口の言葉にあるとおり「自分たちの音楽ってなんなんだろう」というテーマにストレートに切り込んでいった。しかしこれまでの歩みを振り返ってもわかるとおり、そうしたテーマはサカナクションにとっては決して新しいものではなく、むしろもっとも根源的で避けて通れないものだ。形を変えながら繰り返し目の前に現れるそのテーマに、山口はサカナクションのもつ音楽性、そして積み重ねてきた言葉のすべてを注いで向き合い、そして生まれたのがこの“ミュージック”であり、この曲を掲げたアルバム『sakanaction』はバンド史上初となるオリコン1位を記録、そしてバンドは『NHK紅白歌合戦』出場というエポックを刻むことになる。しかしその一方で、『sakanaction』以後の山口は極端なまでに内省的な楽曲を書くようになっていく。ある意味で「答え」ともいえるこの曲とアルバムができたこの瞬間、サカナクションの物語はひとつの区切りを迎えたということなのかもしれない。今回の曲はメンバー5人が僕の家に集まって、中学校とか高校の時の音楽作ってる延長線上、家でみんな集まってセッションするっていう、楽器も大きい音を出さないでイメージを固めてくのがひとつのテーマで。僕の部屋で生まれたものが外に発信される、リアルにそれを伝えるのがテーマだったから。それをやりたくて作っていったから自分たちが今どんな音楽が好きでどんなマインドなのか5人で確認していった中で、構成や曲の雰囲気やアレンジを集めてて。だから今こういうことをやりたいんだとか、あいつこんなことやりたいんだとか結構わかってやってた中での歌詞だったんですよ。でも歌詞ってもう僕の世界だから、メンバーにとって待つものになってるんですね。だからその部屋で作っていた時の気分をちゃんと曲に込めなきゃいけなかったし、仮タイトルが“ミュージック”っていう、まぁ本タイトルになりましたけど、自分たちの音楽ってなんなんだろうって歌いたいっていう部分もあったし。それで5人でやりたかったことってのは、クラブミュージックのグルーヴっていうものと歌謡性っていうものと、あとロックっていうものを宣言する、エモーショナルなものをトラックに混ぜ込んでいって歌詞をハメるっていうのが――テーマはあったし、すごく歌いたいことは決まってたけど、それを美しく言葉で昇華して歌にするのが今まで培ってきた技術とはちょっと違う技術と、今までやってきた自分のエモーショナルな無意識な部分でその、情熱みたいなものがなんか混ざり合わなかった。だから結構新しいことやらなきゃいけないって感じでしたね。
(『ROCKIN’ON JAPAN』2013年2月号/“ミュージック”)
『sakanaction』でのメジャーシーンにおける活躍の反動かのようにディープでメロウな内容となったシングル『グッドバイ/ユリイカ』に続くシングル『さよならはエモーション/蓮の花』もまた、内省的な側面が強く出た作品となった。上記発言の中で山口が苦労したと語っている歌詞の冒頭とは《そのまま/深夜のコンビニエンスストア/寄り道して/忘れたい自分に缶コーヒーを買った/レシートは/レシートは捨てた》という部分。ここのパートのぐっと日常にクローズアップするような「今ここ」の具体性は、たとえば“目が明く藍色”の《制服のほつれた糸 引きちぎって泣いた》という出だしにも重なる。つまり、「今自分がどこにいるのか」という現在地から書き始めることが当時の山口にとっては必要であり、そのために乗り越えなければならない壁がこの曲だったということだ。なぜそれが必要だったかといえば、もちろん、その現在地から先へと進む道を描くためであり、この壁を乗り越えたからこそ、サカナクションは“新宝島”という「確信」にたどり着けたのである。(歌詞制作は)苦労しましたね。でもこの冒頭の部分だけですね。そこができてからは早かったです。だから「どれくらい歌詞進んでますか」って締め切りギリギリに言われ続けてたけど「1行もできてない」って言うしかない(笑)。ここができないことには先に進めないから。だからそこを生み出すために躍起になってずーっとやってましたね。この感覚って、今までで近いと思ったのは、“エンドレス”とか“ミュージック”だったんです。あの2曲も相当時間かかったし、“エンドレス”に至っては7、8ヶ月かかってたから。今回も書いてる時、半狂乱でしたね。妥協できないんですよ。1回妥協しちゃうと、もうそれでよくなっちゃうって自分でわかってるから見つけるしかなくて。
ほんとに大事なタイミングだっていうのもわかってたし。『グッドバイ/ユリイカ』っていうのが、自分の中で思ったよりも結果が出なかったんですね。紅白とかにチャレンジしたあとだったわりに。それは曲調のせいだっていうのもすごくわかってたし。今、フェスとかに行ってる若い子たちが求めるような楽曲ではないことは自覚してた。だから次に出すこの曲っていうのは、そこに言い訳できないというか。かと言ってフェス向けな、“アイデンティティ”なものを作るかっていうとそうではないと。だけどちゃんと伝わるものを作んなきゃいけないっていうところは、ほんとに針の穴を通すような部分で難しかったんですけど。
(『Cut』2014年12月号/“さよならはエモーション”)
『sakanaction』以後、『グッドバイ/ユリイカ』、『さよならはエモーション/蓮の花』から1年のブランクを経てこのシングルが届けられたとき、多くの人は驚き、そして少し戸惑ったのではないかと思う。なぜなら、近作とはまるで違うアッパーさと軽快さがあったからだ。しかしそこにたどり着く軌跡は壮絶ともいえるものだった。オファーを受け制作に取り掛かったのは2014年の春だったということなので、足掛け1年以上を費やしたことになる。前回の『sakanaction』というアルバムをだいぶ前に出して、紅白に出たあと『グッドバイ/ユリイカ』『さよならはエモーション/蓮の花』で自分の内側に向く曲を、シングルとして続けて出してきたんです。自分の気持ちのベクトルが、それまでは外だったけど、また内側に向き始めてたタイミングで。そこで今回、『バクマン。』の主題歌を作ってほしいというタイアップの話だったんで、1回潜ったところから上がらなきゃいけなかったんですね。でも、それによって元に戻るのも嫌だし、前とは違ったところに浮上しなきゃいけなくて。そこを探すのがすごく難しかったですね。今までは、フィクションも歌にできたんですけど、ここでまたフィクションを歌にすると逆戻りだなと思ったし、この先に待ってるアルバムとつじつまが合わなくなってくると思って。つまり、ちゃんとリアルを歌わなきゃいけなかったんですけど、映画が『バクマン。』で、漫画家が主人公だし、漫画の実写映画化だったし、自分は、あんまりこれまで漫画を読んでこなかったというのもあって、それと自分のストーリーをどう重ねたらいいのかわからなかった。だから殻を破るというよりは、地上に上がってみたら知らない壁があってクライミングし始めたような感じでしたね。しかも体は濡れてて、重いまま登っていく感じでした。
(『Cut』2015年10月号/“新宝島”)
その過程で山口は、漫画家という主題に対する手がかりを求めて漫画の神様手塚治虫までさかのぼっていった(“新宝島”というタイトルは手塚作品から借用している)。それはもちろん与えられたお題に対して誠実に応えようとする姿勢の表れでもあるが、それ以上に自分自身との接着点を探してのことだったことが、上記発言からもわかるだろう。この曲には漫画と音楽というジャンルの違いこそあれ、創作することへの強い決意が筆圧高く書き連ねられている。ミュージックビデオやライブでの演出も含めどこかコミカルな要素がある楽曲だが、そのじつきわめて強いメッセージを込めた、これまででもっとも正直な、サカナクションによるサカナクションの「自己紹介」だと思う。
サカナクションの制作がいつも綱渡りのようなスケジュールになっていくのは、もちろん彼ら自身が妥協を許さずとことん「答え」を探し求めるからだが、その中心にあるのは山口一郎の自問自答、つまり「おまえは何をする者なのか?」という鋭い問いかけだ。そしてその自問自答が歌詞というひとつの形を成したとき、名曲が生まれる。つまりサカナクションの産みの苦しみは、常に原点に立ち返ることの苦しみであり、そこからしか楽曲を生み出せない山口一郎というアーティストの業でもある。しかし同時にそれは、その後に到来する未来を約束するものでもあるのだ。またしても難産となっている『834.194』にはどんな「山口自身」が刻まれているのか。今から楽しみでしかたがない。