【本人の言葉で紐解く】宮本浩次ソロはなぜ始まり、どこへ向かうのか?

『Mステ』での椎名林檎との共演

(『Mステ』で)は、5回か6回リハをやってて。椎名さんがこう来るんだったら、俺はこうしたほうがいいって決めて。
アイコンタクトでじゃなくて、歌コンタクトで。ベースとドラムみたいに、椎名さんの役割はこれ、俺の役割はこれっていうのがあって、すっごいアートの世界があのテレビで展開されたの。ほんとのアートが。ふたりで生で歌いながら。
ほんとそうなの。僕もそんな経験は初めて。相手が20年間本気の歌を歌ってきた椎名林檎だからできることなの。打ち合わせも何もしてないし。椎名林檎ってすげえなと思ったもん、俺。
(放送翌日に宮本浩次すごいと話題になった)だけど、それってさ、山崎洋一郎が1stアルバムの時にエレファントカシマシに感じたことそのままじゃん! それを、エレファントカシマシがどんなに努力しても伝えられなかったことを、椎名林檎があの曲でやって。椎名林檎じゃなかったらあんなの浮いて俺バカに見える。椎名林檎がすごいから、宮本浩次が浮かない。本領発揮。100%。あれをエレファントカシマシでやっても、何この変なおじさん、何暴れてんの?みたいな。昔、山崎洋一郎が、渋谷さんが、どんなにこいつらすごいって言っても、何この変な人たち、気持ち悪いみたいな感じだったでしょ。まあ実際に気持ち悪かったと思うし。だから、ようやく面白さをわかってくれたんだな。椎名さんのおかげで。(『ROCKIN’ON JAPAN』2019年2月号)

「椎名林檎による詞曲を歌唱」、「椎名林檎と共演」の域を超えて、椎名林檎の世界観と真っ向から共鳴し合うスリリングで壮麗なステージングを披露してみせた、『Mステ』の“獣ゆく細道”TV初パフォーマンス、そしてその熱演ぶりが日本中の話題をさらった『紅白歌合戦』出場。衝動の暴発によってではなく、衝動すらも己の表現の一部として統率してみせる宮本の唯一無二の才気が、稀代の表現者にしてプロデューサー=椎名林檎によって改めて今この時代に提示された、決定的な名場面だった。


エレファントカシマシメンバーの反応

1月の新春ライブが、大阪フェスティバルホールと武道館であったんですけれども、そのリハのときに感じたのは――昨年、東京スカパラダイスオーケストラとか椎名林檎さんとかと一緒にやってきましたけど、それは、メンバーが初めてミヤジを客観視した時間だったんですよね。4人とも同い年でいい仲間としてやってきて、ミヤジはすごいっていうのは思ってたけど、初めてミヤジを客観視して感じた「あぁ……!」っていう気持ちは、1月に武道館のリハで4人で一緒にやったときに非常に強く感じましたね。強い衝撃を改めて与えたんだと。ミヤジはこうやってひとりでやるんだっていうのをわかりやすい事例で見てきて、言葉にならない何かを思ってる雰囲気は、武道館のリハのときに感じました。その緊張感は、私も持ってたと思いますし。(メンバーが当たり前にあると思っていたエレファントカシマシとして宮本と一緒にやっている時間は、実はかけがえのない時間だった、頑張んないとなっていう気になったのは)お互いですけどね。私もそう思いましたし、みんなも同じように思いました。(『CUT』2019年3月号)

それこそバンド初期から、青春期ならではの「蒼さ」や「未完成さ」に甘えることなく、むしろそれらをいかにして克服し超越し、混沌の時代をいかに力強く歩んでいくべきか、を音楽を通して模索し、丹念に綴ってきた宮本。挫折も危機も乗り越えて、30年以上にわたってバンドをサバイブさせてきた原動力は、「少年時代の自らを突き動かした音楽のロマン」、「10代の頃からの仲間であるバンドの在り方」をもシビアに俯瞰する宮本の視線にこそあるのかもしれない。

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