BRAHMANというバンドの強靭さの核にある「優しさ」について

BRAHMANというバンドの強靭さの核にある「優しさ」について
激しい演奏や厳しさを突き付ける歌詞から、「畏怖を感じるほどの迫力」にフォーカスが当てられてきたBRAHMAN。しかし、ここ数年は「優しさをも感じる人間味」も魅力として語られるようになった。その理由としては、東日本大震災後に彼らが行ったボランティア活動が広く知られたこと、そして音楽にもその影響が表出したことが大きいだろう。また、BRAHMANの4人にMARTIN、KAKUEIが加わったOAUのアコースティックな表現では、より明確に人間味が感じられるし、TOSHI-LOW(Vo)が長男のために作ったお弁当を掲載した書籍『鬼弁~強面パンクロッカーの弁当奮闘記~』も、生活感あふれる新鮮なイメージを世の中に与えることとなった。

しかし、BRAHMANは、もっとずっと前から「優しさをも感じる人間味」を感じさせるバンドだった。さかのぼれば、1998年リリースの『A MAN OF THE WORLD』の《「行動欲」それだけが現実》(“THAT’S ALL”/和訳)、《『孤、そして強く』》(“ANSWER FOR…”)といった奮い立たせるような言葉が「投げっぱなし」ではなく、若き日の彼ら自身にも向けられていたことは、当時のストイックなライブを思い出せば明らかだ。「ガンバレ」、「ダイスキ」といった投げかけられる(だけに感じる)メッセージよりも、BRAHMANの音楽と活動が繋がった説得力ある表現に「心」を感じてきたのは、私だけではないだろう。

また、以前から彼らの音楽の激しさには、攻撃性だけではなく痛みも内包されていた。静と動を行き来し《悲しみ嘆き打ち鳴らす/時の鐘 誰が打つ》と歌う“時の鐘”などは顕著だと思う。痛みを知る者は優しい――そう彼らに対して思えるような、核の奥の柔らかいところは、ずっと存在していたのだ。そこがより露わになったのは、2008年リリースの『ANTINOMY』だと思う。《失わない唯一の方法は失い続けること》、《迷わない唯一の方法は迷い続けること》(“THE ONLY WAY”/和訳)という言葉は、様々に受け取れるかもしれないが――私は許されているように感じた。失ったっていい、迷ったっていい、と。あきらめではなく、もがいた果てに、「これが生きることだ」と腑に落ちて、前に進む扉を開けられる鍵のような歌だ。許す、というところでいうと“FIBS IN THE HAND”も大きな包容力を持っていると思う。《ただ手を合わせ泣き沈む/残した日々よ/震えた両手に掴まって》――黄金色が目に浮かぶメロディで歌われる切々とした言葉を聴いたときに、私はなくしてしまった大事な人を思い出した。泣かせる歌や泣ける歌ではない、泣くことを許してくれる歌に思えたのだ。さらにこの歌は、痛みを忘れさせるでも、引きずらせるのでもなく、痛みと共に生きていく力をくれた。

こういったところを、私は「優しさ」と捉えてきたのだが、冒頭に記したような「厳しさ」として捉える人もいるだろう。そして近年の表現も「優しさ」が見えやすくなってはいるが、相変わらず「厳しさ」は感じる。しかし、怖いだけの厳しさではなく、また甘いだけの優しさでもなく、優しい厳しさを持つ音楽(や人)は、今はとても貴重で、そこが伝わっているからこそBRAHMANは多くのバンドマンや表現者、ファンに慕われているのだと思う。

困難と喜び、涙と笑顔、絶望と希望の天秤を揺らしながら生きる日々のリアルを、ずっとBRAHMANは歌い、鳴らし続けている。(高橋美穂)
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