シカゴの受刑者がノトーリアスB.I.G.銃撃事件後、事件の犯人に会ったと名乗る

シカゴの受刑者がノトーリアスB.I.G.銃撃事件後、事件の犯人に会ったと名乗る - 1997年作『ライフ・アフター・デス』1997年作『ライフ・アフター・デス』

先月、ニューヨーク州で無期刑に服している受刑者が1994年に起きたトゥパック・シャクールへの強盗銃撃事件の主犯であることを告白して大きな話題になったが、ここにきて1997年にノトーリアスB.I.G.の命を奪った銃撃事件の主犯に会ったという人物が名乗りを上げている。

先月トゥパック強盗銃撃事件の主犯だと告白したデクスター・アイザック受刑者の場合にはAllhiphop.comへの告白として事件の経緯が明かされたが、今回もサイトは違うがヒップホップ系ニュース・サイトのHiphopDXへの告白としてひとつの事実関係が明るみになっている。

告白をしたのは詐欺や戸籍捏造などの罪で現在シカゴで刑期に服しているクレイトン・ヒルという人物で、6月8日にHiphopDXに連絡を取り、1997年3月に起きたノトーリアスB.I.G.の銃撃に使われたセミ・オートマチックの拳銃を実行犯から手渡された時のことを打ち明けている。

アフリカ系アメリカ人に信者の多いアメリカのイスラム系団体、ネイション・オブ・イスラームの元信者だったヒルは、1997年5月に団体の上級幹部の命令で、ジョージア州アトランタにある長距離バスのグレイハウンドの発着場にダウード・マハマッドなる人物の迎えに行かされたという。幹部たちはダウードの素性を明かさなかったが、ダウードはヒルと落ち合うと自分の素性を明かし、事件の経緯についても語ったとか。

「ダウードは俺に自分がノトーリアスB.I.G.の殺害の件で現在逃走中だと明かしたんだ」とヒルはHiphopDXに語っている。「ダウードは自分がノトーリアスB.I.G.の銃撃犯で、もともと(ロスアンジェルスのストリート・ギャング団の)ブラッズのメンバーだったため、消すように雇われたことを明かしたんだよ」。

さらに7月15日に電子書籍として出版されるヒルの回想記『Diary of an Ex-Terrorist』では、ヒルはその後ダウードから包装紙で巻いたセミ・オートマチック拳銃を手渡され、ダウードは銃撃の報酬として2万5千ドル(約200万円)受け取ったことを自慢げに話していたことを振り返っている。

その後、ヒルはネイション・オブ・イスラーム幹部から問題の拳銃をネイション・オブ・イスラームの会頭ルイス・ファラカンの運転手であるエミール・マハマッドのもとへ届けるように命じられ、ケンタッキー州ルイスヴィルまで赴いたという。そして、問題の拳銃は最終的にネイション・オブ・イスラームの本部へと持ち込まれたとヒルは語っている。ただ、団体トップのルイス・ファラカンの関与についてヒルは「ファラカン氏がなにか知っていたかどうかは疑わしいね。そうした事情は一切知らされていなかったはずだ」と語っている。

ヒルはすでにこうした事実を昨年10月に自身の国選弁護人や連邦捜査局(FBI)の取り調べの際にも供述していると語っている。一方、HiphopDXはヒルがほのめかしているような、ネイション・オブ・イスラームとノトーリアスB.I.G.銃撃事件との関連性が本当にあったのかどうか調査したが、なにも洗い出せなかったとしている。また、ヒルはノトーリアスB.I.G.銃撃事件の容疑者とされたものの、不起訴になっているアミール・マハマッドがヒルの言うダウードなる人物と同一人物なのかも特定できないと語っている。

いわゆるニューヨークとロスアンジェルスの間でのヒップホップ東西抗争は90年代半ばにエスカレートし、その渦中のなか、ロスアンジェルスの代表アーティストの1人となっていたトゥパックは1996年9月7日にラスヴェガスで車に乗っていたところを何者かに銃撃され、その6日後に他界した。その半年後の1997年3月9日の未明には新作『ライフ・アフター・デス』のプロモーションのためにロスアンジェルスを訪れていたノトーリアスB.I.G.も銃撃され、死亡した。この2つの銃撃事件についてはどちらも迷宮入りのままになっている。
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