BUMP OF CHICKENが語る「バンドという夢の始まりと今」――bridge最新号に、全38ページに亙る表紙巻頭特集

BUMP OF CHICKENが語る「バンドという夢の始まりと今」――bridge最新号に、全38ページに亙る表紙巻頭特集

藤原基央「僕らにはこんなに可能性があるということを、4人で再確認したかった」


3年半ぶりとなるツアー「GOOD GLIDER TOUR」と4年ぶりとなるアリーナツアー「GOLD GLIDER TOUR」で、解放感と親密さを放つ新しいバンドの姿を観客に見せ、加えて、ツアー中に楽曲を制作するという、今までになかった経験から生まれたシングル『firefly』をリリースしたバンプ・オブ・チキン。彼らが、充実した今にいたるまでの道のりを語ったインタヴューが、現在発売中の『bridge』73号に掲載されている。4人が過ごしてきた年月の長さと濃密さが浮かび上がる、全38Pに亙るロングインタヴューだ。


藤原「曲作ってたしなあ……。3年半ですから……ほんとに30代に入ってから今に至るまでの3年間ぐらいなんですけど。バンド感ていうのはもう、今までこいつらと一緒にいた歴史の中で、一番感じた3年半だったんじゃないかと思います」

インタヴューの冒頭、藤原は上記のように語り、ツアー前の3年半を振り返っているが、「最初の聴き手となる」他のメンバーは藤原の生み出す楽曲にどのように向き合ってきたのだろうか。直井は以下のように語り、バンドが曲を世に送り出すプロセスを、次のように説明している。

直井由文「藤原くんの曲が1曲上がったとして、普通のバンドを僕は知らないんですけど、僕らの場合はその1曲に対して向き合うんです。その作業ってのは、要は、初めは演奏とか一切せず、コードを撮ろうともせず。リスナーと一緒です、ほんとに。ただ聴くんですね」

続けて直井・増川・升の3人は、上記の発言のようなメカニズムが、20代前半の頃には存在していなかったことを明らかにしている。

直井「僕、音楽もちろん好きで、洋楽だって大好きですし、日本の音楽も大好きですし。ただ、ほんっとに心が動く瞬間てのが、藤原くんが書く曲しかないっていうことを、20代前半は認めたくないみたいな。アーティストぶりたい時期だったんでしょうね」
増川弘明「大なり小なりあったとは思うよ。」
升秀夫「全員にあてはまることだよね(笑)……前、ゲームのサントラとかやって。改めてちょっと客観的に藤原くんを見る機会があったりすると、なんかスタンス的にはファンと一緒だなって……だからいつも、お客さんはこういう感じで聴くんだっていうのを、常に感じてます。だから自分が最初に感じたものがそのまま、バンプ・オブ・チキンとして鳴らす時に、伝わればいいなって」

藤原が生み出す楽曲をリスナーに届けるために、藤原以外の3人は、一体どのように曲と向き合ってきたのか? 今回のインタヴューは、初めてそのプロセスが詳細に語られた画期的なものとなっている。そして話題は、藤原基央をバンドに誘った結成当時の話にまで遡る。藤原をバンドに誘った升は、その「天才的な閃き」が頭に浮かんだ理由について、改めて以下のように語っている。

升「あの学校にいたらもう、同じ学年でもみんな知ってたと思うんですけど、(藤原は)光ってたんですよ!」
藤原「(笑)僕がですか?」
升「今思えばだよ? ピッカピカだったよ。でもみんな当時はもうボンタンやら」
直井「あはははは!」
升「たまたまバンドやりたいって感覚を持ってたから『あっ!』て気づいた」
直井「絶対思う」
藤原「(笑)そうすかね」

メンバー4人で語る「バンドという夢の始まりと今」。結成当初まで遡り、バンプが巨大になっていった理由にせまるとともに、4人の未来を照らし出す決定版インタヴューとなっている。

加えて今回の表紙巻頭特集では撮り下ろし写真を掲載。4人が醸し出す親密さと、確固たる思い、その両方が伝わる写真となっている。バンドショットはもちろん、アコースティックギターを手に持った藤原の写真など、メンバーのソロショットも多数掲載する。
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