グレッグ・レイク、「パンクは音楽スタイルではなく、ファッション・ムーヴメントでしかない」と語る

グレッグ・レイク、「パンクは音楽スタイルではなく、ファッション・ムーヴメントでしかない」と語る

キング・クリムゾンのデビュー時のオリジナル・メンバーで、その後、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)の活躍でプログレッシヴ・ロックを代表するアーティストのひとり、グレッグ・レイク。グレッグは近く自伝『Lucky Man』を刊行することになっており、キング・クリムゾンやELPについて『ローリング・ストーン』誌に語っている。

もともとグレッグはロバート・フリップの「幼馴染で同じギターの先生についていた」という間柄で、キング・クリムゾンのオリジナル・ラインナップにはロバートの強い勧めがあって最後に加入したメンバーとして知られている。バンドはその後1969年のファースト『クリムゾン・キングの宮殿』と前代未聞の迫力を呈するライヴで大きな話題となるが、アメリカ・ツアー後に中核メンバーだったサックスやキーボード担当のイアン・マクドナルドとドラムのマイケル・ジャイルズが脱退を表明したため、バンドは71年までメンバーが常に入れ替わっていく混沌とした状態に入り、この過程で結局グレッグも脱退することになった。

このオリジナル・ラインナップ解体の原因はなんだったのかという問いにグレッグは、バンドがイギリスとアメリカをツアーしていくと、単純にイアンとマイケルがツアーの生活に耐えきれなくなってしまったのだと説明していて、ビートルズのようにスタジオだけで活動したいと言い出してふたりは脱退を表明したとグレッグは振り返っている。

その際、グレッグはそのままキング・クリムゾンとして活動していくことに疑問も感じ、ロバートにそう提案もしたというが、ロバートの活動継続の意志は固く、当座の活動続行が確認されたという。こうしてキング・クリムゾンのオリジナル・ラインナップとしての最後のライヴがサンフランシスコのフィルモア・ウェストで行われたが、バンドはキース・エマーソンが率いていたナイスとこの会場で共演を果たすことになり、グレッグはその晩、キースと話し込んだところ、ナイスの活動は終わったことを告げられ、グレッグも同じ事情を抱えていたことを明かしたとか。

「というわけで、それがELPの始まりだったんだね。前のバンドが終わったその晩に始まったことだったんだ。音楽と音楽業界でやってることって実はこういう偶然の産物に過ぎないことが多いんだよ」

その後、ELPはプログレを代表するバンドのひとつともなった一方で、評論家筋からは自意識過剰で鼻につくバンドとして煙たがられることも多くなったが、このことについてグレッグは次のように語っている。

「あのバンドに鼻持ちならないところがあったというのは間違ってはいないと思うな。火のないところに煙は立たないわけでさ。ただ、ぼくたちはやってることをすべて前に進めて、なにか新しいことをやって壁を壊していきたかっただけなんだよ。とにかくオリジナルであることがすごく重要だったんだ。特に初期のアルバム、『タルカス』や『トリロジー』、そして『恐怖の頭脳改革』などのことを言ってるんだけど、これらは本当にすごい作品だったし、革新的だったと思うんだ。プレスのなかにはぼくたちを嫌っていた連中もいたけどね、リスナーはみんなぼくたちのことが大好きだったんだから」

「ELPについてぼくはすごく誇りに思っているけど、その後、ELPを引きずり下ろしたのはジャーナリストたちじゃないんだよ。ぼくはそれはELP自身だったと思ってるんだ。『ELP四部作』からバンドも壊れ始めたんだ。あれはいいアルバムだったけど、でも、ELPじゃなかった。あれはキース・エマーソン、グレッグ・レイク、カール・パーマーとそれぞれのオーケストラというものだったからね。それぞれ使ってるオーケストラまで違ってるんだから(笑)。『ELP四部作』は終わりの始まりとなったわけで、あれ以降ELPはもう二度と本当の意味で革新的なレコードは作らなくなったんだよね」

ただ、その後、ELPが旧態依然としたロックとしてパンク・ロックから攻撃や批判の標的になったことについては次のように反論している。

「そもそもパンクっていうのは音楽スタイルではないから。パンクはファッション・ムーヴメントでしかないからね。本当のパンク・ミュージックっていうことになったら、ザ・フーやザ・ローリング・ストーンズに遡らなきゃならないわけで、こういう連中があのパンク・アティテュードやずけずけとした物言いを最初に打ち出したわけだからね。しかも、こういう連中はみんなしっかり音楽スタイルを持ってたんだから。コードをただかき鳴らしてただ暴言をマイクに向かって絶叫するというのは、ぼくにはとてもアートとは思えないよ」

しかし、その一方でグレッグは次のようにも認めてもいる。

「と言いながらも、プログレッシヴ・ロックが、ELPやさまざまなバンドも含めて、自分で自分の首を絞めていったということを否定するつもりはないよ。あの当時、どのバンドもおまえは七面鳥かっていうなりをしてたからね。滑稽なところまで行き過ぎてたんだよ」
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