ドクター・ドレー(本名:アンドレ・ヤング)とインタースコープ代表のジミー・アイオヴィンはロスアンジェルスの南カリフォルニア大学(USC)に7千万ドル(約70億円)の寄付を行い、新たな学部を創設することになるという。
学部はUSCジミー・アイオヴィン・アンド・アンドレ・ヤング芸術工科革新ビジネス研究院といって、芸術やヴィジュアル・デザイン、起業、情報科学やマーケティングなどの融合に関心のある学生に向けた授業を展開し、「芸術と業界の因習的な発想の打破に挑戦する」学生を呼び込みたいとしている。
授業は、「アートと起業」、「テクノロジー、デザインとマーケティング」、「コンセプトとビジネス・プラットホーム」、「プロトタイプの創出」を4つの柱として行われ、カリキュラムにはUSCの経営学科、芸術学科、工科学科、音楽学科などの指導陣による個人授業も含まれ、芸術やエンタテイメント界から招いた講師との交流の機会なども提供されるという。
USC学長のC・L・マックス・ニキアスは今回の学部創設について次のように語っている。
「ジミー・アイオヴィンとアンドレ・ヤングのヴィジョンと寛容さによって、アーティスティックなメディアについての私たち全員の受け取り方と経験の仕方がこれからは二人の影響を受けることになるでしょう。USCでは学生たちに桁外れに豊かな学術的で研究的で芸術的な環境を提供してきています。私たちは学生たちが自分たちの知的かつ創造的な素養を援用して社会のあらゆる側面に影響をもたらすように促すことに身を捧げています。今回の学院が世界でも最も協同的な教育プログラムを提供するように実現させることがわたしたちの目指すところです」
授業は来年の秋から開講するが、厳正な選抜を経て、学力と独創性を備えた学生25名からコースを始めるという。
ジミー・アイオヴィンは70年代からプロデューサーやレコーディング・エンジニアとして活躍し、ブルース・スプリングスティーン、ジョン・レノン、パティ・スミス、トム・ペティ、スティーヴィ・ニックスらを手がけ、その後1990年にインタースコープを設立し、ドクター・ドレー、メアリー・J・ブライジ、ナイン・インチ・ネイルズ、ノー・ダウト、エミネム、レディー・ガガらのキャリアを後ろ盾してきた。
アンドレ・ヤングはドクター・ドレーとしてロサンジェルスのヒップホップ・ユニット、ワールド・クラス・レッキング・クルーに参加した後、1986年にアイス・キューブやイージー・Eらとともにニガーズ・ウィズ・アティテュード(NWA)を結成。88年にはヒップホップ史上最も影響力のある作品のひとつとされる『ストレイト・アウタ・コンプトン』をリリースするが、91年にドレーは脱退し、92年にやはりヒップホップ史上最高傑作の一枚ともいわれるファースト・ソロ『ザ・クロニック』をリリースした。この作品で無名の新人だったスヌープ・ドッグを世に紹介し、その後も同じようにドレーはエミネムや50セントを後押しして世に送り出してきた。