今さらだけど水カンの音楽はなぜ「名前」を纏うのか。例えば“オニャンコポン”

今さらだけど水カンの音楽はなぜ「名前」を纏うのか。例えば“オニャンコポン”
この世界には、その持ち主が死んだあとも生き続ける「名前」がある。
時代を超えて、国境や海や言語を超えて、時にはノンフィクションとフィクションの垣根を超えて、つまり伝説として生き残り続けた「名前」は、いろんな時代、いろんな場所、いろんな人の誤解とか妄想とか願いとか悪戯心とかを吸収しながらこの世界を浮遊し続けている。
水曜日のカンパネラの楽曲のタイトルが主に伝説として浮遊する「名前」なのは、その音楽も、その存在も、人間の心が吐き出して空気中を浮遊し続ける何かを楽しく美しくタイムリーにキャッチ&リリースし続けるものだからだと思う。

今日リリースされたニューアルバム『SUPERMAN』に“オニャンコポン”という曲がある。
オニャンコポンというのは、西アフリカ ガーナに伝わるアシャンティ神話に登場する創造神。
つまり偉大な神様。
だけど日本に暮らす私たちの多くがこの名前の響きから否応なしに感じるのは、この曲で歌われている通りの、口にするだけで笑みがこぼれそうになるような《親近感》。
猫の肉球に触りたくなったり、ある世代の人なら『夕やけニャンニャン』の時代を意味もなく懐かしみ始めたりする。
誤解と妄想と願いと悪戯心がもうあっという間に、その「名前」を元の意味から浮遊させはじめている。
水曜日のカンパネラの音楽は、そしてコムアイというポップアイコンは、そんな「名前」の浮力で今を飛び続けている。
しかも、その浮力を生み出す資源である「名前」は無尽蔵にあるのだ。
なんて画期的なシステムで「浮遊物」のライブラリー化を続けているんだろう、水カンは。

何を今さらと思う人もいるかもしれないが、変わらぬスタンスで全く飽きさせずに僕らを楽しませて続けてくれる、その凄さをジワジワ思い知っている今日この頃です。(古河)
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