ギターのチューニング 後編

ギターのチューニング 
 後編

前回の続きです。

昔、故・中島らも氏のエッセイで読んだんだけど、三味線というのは、

「弾いているうちに調弦が狂う」
「そして弾きながらその狂った調弦を直す」

ところまでを含めて、その人の腕前、と、されているらしい。
中島氏は書いておられた。あほか、と。そんなねじ曲がった技術を競っていないで、チューニングが狂わんよう工夫せんかい、と。西洋のギターのように。

そうだよなあ。と思ったが、どこのライブハウスでも、ああやってMCのたびにピンピンやっているところを見ると、ギターも、根本的には三味線と変わらないんじゃないか、という気がする。
ただし、前回「これだけ科学が進んだ世の中において、何故それができないのか」とか書いたけど、そもそもギターだけでなく、実際に自分の手で弾いて演奏する楽器というもの自体、テクノロジーの進化に刃向かうものである、とも言える。

つまり、例えば「チューニングが狂わないようにするには、伸びない弦を作らなくては」「伸びない弦だとああいうギターの音が出ない」「じゃあどうすればいいのか」って、つきつめていくと、結局最後には「弾かなきゃいい、クリックしてソフトに入ってる音を出せばいい」というところに行き着いてしまうのではないかと。
だから、まあ、ギターがギターである限り、手で弾いて音を出す弦楽器である限り、しょうがないのかなあとも思うわけです。
わけですが、しかし、あの、ライブの時の「ギターのチューニング待ち」の時間が、いかんともしがたくまだるっこしいのも事実です。
「MCのたびにギターとっかえればいいじゃねえか」とか思うんだけど、そう思った瞬間に「そんなこと当のギタリストに言ったらこう反論される」という例が、既に3つぐらい浮かびます。
きりがないのでやめます。
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