ブルハと久保憲司さんと私

ブルハと久保憲司さんと私

こないだから延々「特集」のコーナーで展開しておりました、
ザ・ブルーハーツのべストアルバム「ALL TIME SINGLES」
2枚組31曲を全曲解説・毎日3曲くらいずつアップ企画、
本日ラスト3曲をアップして、完了しました。
お付き合いいただいたみなさん、ありがとうございました。
まだの方、ぜひご覧ください。

おかげさまで好評のようで、久保憲司さんがtwitterで
「兵庫さんのこれ、すごい」と、紹介してくれたりもしました。
ありがとうございます。

メレンゲ方面ではなく、カメラマン兼ライター兼イベント・
オーガナイザーのクボケンさんです。
当社のフェスのオフィシャルカメラマンのひとりでもあり、
前にも書いたけど、19年前に私が初めて出張・
初めて海外・初めて飛行機、だった時の、
同行者でもあったりします。

で。そういえば。昔。
久保憲司に、ダッチワイフを借りたことがある。

93年の末とか、94年のはじめとかそれくらい。
電気グルーヴ石野卓球の、ロッキング・オン・ジャパン
初表紙の取材・撮影の時のことです。
ってことは「VITAMIN」のタイミングか。
インタビューは山崎洋一郎。撮影は平間至。

僕は編集担当じゃなくて、現場には行ってないんだけど、
直前に山崎が「撮影で、卓球がダッチワイフをふり回している画を
撮りたいから、用意しろ」と言い出した。
買っていいんですか? ときくと、高いからダメだという。
借りるとかして、どうにかしろという。

でも、こんなもんのレンタルなんか、あるわけない。
レンタルのダッチワイフ。考えるだけでおぞましいでしょ。

どうしたもんか、と困っていたら、隣の洋楽ロッキング・オン
編集部のスタッフが、「あ、ダッチワイフなら、こないだ
使いましたよ」と言う。

「クボケンさんに、L7(懐かしいなあ)撮ってもらったんだけど、
その時の小道具で、彼が持ってきたんですよ。
あれ、まだ持ってるんじゃないかなあ」と。


ご本人に電話してきいたところ、まだあるという。

夜遅くに、家まで借りに行った。
当時小学校低学年くらいだった、息子さんが走り回る玄関で、
ダッチワイフを手渡される、というのは、なかなかにシュールな図でした。

ちなみにその息子さん、今では立派に成人し、
クボケンさんが当社のフェスの撮影をやる時、
アシスタントで一緒に来られたりします。
そのたびに、その時のことを思い出します。
おふたりには言ったことないけど。

ちなみに、そのダッチワイフの写真、結局1カットも使われませんでした。
山崎曰く「ほかの写真がよかったから、落としちゃった」。
まあ、そんなもんです。
あ。あのダッチワイフ、ちゃんとクボケンさんに返したっけ。憶えてない。



あと、ブルハ、明日からは続いて歴代PVのダイジェスト
映像のアップが始まります。
ひき続きぜひ。
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