面影ラッキーホール改め、オンリー・ラヴ・ハーツの新録ベストを聴いて

面影ラッキーホール改め、オンリー・ラヴ・ハーツの新録ベストを聴いて

突然だが、家族で旅行をするときの車でかかっているBGMは大抵、娘が熱唱する”レット・イット・ゴー〜ありのままで〜”である。
あるいは、最近では「ゲラゲラポー」を一緒に歌うことを強要されたりしている。
けっこう頑張ってやけくそになって歌ったり叫んだりしている。
そういうお父さんは今、この日本中にきっと何万人もいるんだろう。

だが、僕は娘が歌い疲れて目をこすり出し、嫁さんも一息つき、せんべいなどをバリバリ食べ始めた隙を見計らって、こっそり面影ラッキーホールの楽曲をかけたりする。

歳の離れたおじいちゃんに巣鴨で春を買われる歌や、惚れた女が犯され甲子園に行けなくなった歌や、パチンコ中に灼熱の後部座席で赤子を死なせてしまった母親の歌をこっそりかけたりする。
誰も気づきやしないし、実際そのことに大した意味はない。

ただ、なんとなく聴きたくなるというだけの話である。

「人生にはいろんなことがあるんだ。いいことも悪いこともあるんだ。だから人生は一生懸命生きることに意味があるんだ」とか、そういうことが言いたいわけでもない。
リアルに充実した時間と帳尻を合わせるための暗部がほしいんだよね、なんていう過剰的自意識方面の甘美な話でもないと思う。

本当に時々、ただ面影ラッキーホールの楽曲を聴きたくなるだけの話なのである。

事件が起こりっぱなしの舞台で何も回収されずに進んでいく世界と、しかしもの悲しいくらい明るく晴れたソウルミュージックを聴いていると、とても不思議な気分にはなる。
何が起こるかわからないし、何が起こったってどうだっていいし、というか、「まあ何が起こったって『そんなもんだよ』で済ませるより仕方ないか」という気持ちにはなる。
ただ、暗い気分になっているわけではない。それも不思議といえば不思議だ。

面影ラッキーホールの歌はえぐいが、なんだかいつも空が晴れている。
それが僕の中ではとても印象的で、だからなんとなく、天気いい日の車の中で聴きたくなる、というだけなのかもしれない。
よくわからないが、それはものすごくいい音楽、ということなのではないだろうか、なんてことを思う。

結論はないです。
ただ、「好き」とか「最高」とか言う以上に、僕の音楽リスナー人生において確実に必要な何かを持っているバンド、それが面影ラッキーホールである。とまあそういうことが書きたかったのです。
きっとこの音楽に出逢えば、そういう人は増えるんじゃないか。とまあそういうことが書きたかったのです。

バンド名をオンリー・ラヴ・ハーツ(O.L.H.)と改め、全曲新録されたベストアルバムが発売されている。

「文学」と呼ぶには大衆的で、「ポップ」と呼ぶには真実過ぎるこのソウルミュージックを、晴れた日の車の中でこれからも何度も何度もこっそり聴くことになると思う。
家族は誰も気づかないが、もしも気づいたらきっと娘は「”レット・イット・ゴー”にしてよ!」と怒るんだろう。
「いや、これもある意味、レット・イット・ゴーと歌っている歌なんだよ」と言って理解できるように、うちの娘はいつかなるのだろうか。

いや、どうでもいいですね、はい。

ぜひ聴いてください。
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