[Alexandros]、”Leaving Grapefruits”解禁、即書く!

聴きました?

オンエアで聴いた人はもう余韻に浸りまくってください。
淡いメロディ、繊細な歌、柔らかなアレンジ、手元がよく聴こえるような近さ。
[Alexandros]の楽曲は実に幅広いが、ここまでパーソナルな聴き方ができる曲はこれまであまりなかったと思う。
とびきりの、かつアレキ的に新しいタイプの名曲。

いやね、この曲むちゃくちゃ好きなんですよね。

というわけで、何が好きか書いてみる。

①ハンパないセンチメンタリズム
川上洋平の心の淡い部分ーーそれをロマンティックな部分だというなら、とびきりロマンティックな曲。
実はインタヴューでサトヤスも話しているんですが、歌詞がとんでもなくいい。

もう一度出逢うなら 今度はどんな二人になろうか?

洋平の歌詞はもう少し客観的な距離感をあえて作ってきたようなところがあって、それを僕はあまりに確信的なスタンスで歌詞もメロディも書く人間だからこその相対化の一環だと思ってきた。
そんな川上洋平をして、ここまで直接的に回顧的なセンチメンタリズムをやっている。

逆にいうと、今の川上洋平はなんでもできる、そういうことだと思う。
もっと極論してしまうと、「伝わればなんでもいい」と思えている、そういうことなのではないか。

その結果、どうなっているのか。
もう大爆発している。川上洋平のロマンが。
要するにそういうことです。

②アレンジと演奏がシンプル、かつだからこそ感情移入の余地がすごいある
そう、実はこういう柔らかく淡く、繊細なアレンジにこそ、[Alexandros]の真骨頂が出ていたりする。
アレキの4人はとても感受性の豊かな人たちで、だから一緒に抽象的な、楽曲の印象論やイメージの話をしていると話がえらくうまく転がっていったりする。
でもそういう話というのは、誌面にするとわかりにくかったり、客観性がいまいちなかったりして、削ってしまうことが多い。

でもね、当然、本当はそういう部分をたくさん使いたいんですよ。

で、今回のアルバムはいくらでもそういうダイレクトなメッセージ以外の部分、つまり「余地」の話で盛り上がれる。
それは、このアルバムが「川上洋平自身を表現したアルバム」というより、「川上洋平が誰かに聴いてもらいそして、どこまでも感動させたいと願ったアルバム」だからだと、僕は思っている。

そんな「余地」をこの楽曲ほど持っている曲はない。

そして、そんな「余地」はこの4人の感受性と言葉以外のコミュニケーション、「お互いに分かり合える」という関係性によって生まれている。
そういう、とても[Alexandros]なアレンジになっている。そういうことです。

③アルバムのひとつの極になっている
この楽曲を淡くセンチメンタルの究極とするなら、もう一方の極に広がる世界観もまたすごいことになっている。

だから、この曲に感情移入できた人はもう一方の、荒れ狂うテンションの[Alexandros]もまた楽しむことができるということです。
僕も”Leaving Grapefruits”を聴いたあとは、対極にある「悪い曲」=”Boo!”なんかを聴きたくなる。

その両極を自在に行き来する[Alexandros]らしい曲だなあと、そういう意味でも思います。



というわけで、”Leaving Grapefruits”についての解禁ブログでした。

聴いていない人は想像を働かせてアルバムの発売日を待っていてもらえればと思います。
で、ガチインタヴューが載っているJAPANもひとつよろしく。
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