っていうんですよ。
一ヶ月くらい前、ライブで初めて観て、一発で気に入って、メンバーに無理やり会いに行って、
なんか書かせろ、と言って、フライヤーに原稿書かせてもらいました。
もうむっちゃくちゃ素晴らしいバンド。
この圧倒的な文学的ポテンシャルは、すでにギターロックの王道を行っている。
今日もこのあと、ライブを観ます。楽しみ。
そのフライヤーの原稿、転載しておきます。
出会ってもらいたいバンドです、KOTORI。
ひとまず、一報でした。
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KOTORIは想像していたよりも何倍も素晴らしかった。
このCDを聴く前の僕が何を想像していたのかというと、
若さと蒼さを描くギターロック、その精度が極めて高い、めっけもんの新人バンドであること。
で、それは確かにその通りだった。
じゃあ、僕は何を想像していなかったんだろう。
言葉にするのは難しいけれど、ヴォーカル横山の骨太で、だが高音をしゃくるとスピーカーをビリビリいわすように大きく震える声がいい。
そして、その声で歌うべき世界観がすでに、完璧な形で選ばれている、というのも素晴らしい。
だから必然的に歌詞も素晴らしいものになる。
ナイーブな言葉の羅列、若さを持て余す実感、いたずらに続いていく日々のやるせなさ越しに描かれる淡い風景————。
そう、青春を歌うギターロックバンドとして抜群の素材なのだ、このKOTORIというバンドは。
だが、想像を超えていたというのはそういう音楽的なことではない。
KOTORIは、KOTORIにだけあって、他のギターロックバンドにはなかなか手に入れられないものをちゃんと持っている。
誤解を恐れずに言ってしまうが、それは、優しさ、だ。
過ぎていく日々に対する優しさ、物事を伝える相手に対する優しさ、青春に迷う自分への優しさ、自分の口をついて生まれてくるメロディへの優しさ。
KOTORIのロックは敵を作らない。苛立ちをそのまま歌うこともない。
横山は、目の前の風景を、あるいは過ぎてしまった時間を受け止め、歌う。
その歌声はとても優しい。
きっと苛立つことも後悔もあるだろう。青春なんだから、それはそういうもんだと思う。
そして、そんな青春のあれやこれやをそのまま吐き出すように歌うことも横山には許されているとも思う。
だが、それだけをやることはきっと彼の生理感覚的に無理なのだろう。
きっとおそらく、彼はとても優しい人なのだ。
音楽が鳴り終わった後に残る淡い残像、オレンジ色の風景、穏やかな余韻。
それはとてもKOTORIらしい青春のあり方だと思う。
そして、それは横山という青年の心のあり方を映した、素直な優しさなのだとも思う。
KOTORIはあなたの中のギターロック像を塗り替えていく。
いつの間にか、気づけば、青春のイメージは塗り替えられていく。
そんな優しい革命を、きっとKOTORIは起こしてくれる。
小栁大輔(ROCKIN’ON JAPAN編集長)