コンテンポラリーな生活を聴いて思った、この世代のこと

コンテンポラリーな生活を聴いて思った、この世代のこと

ここ数日、とにかくこれである。
『ぼくらのキラーチューン』、コンテンポラリーな生活の最新ミニアルバムだ。

タワーレコード店舗限定というかたちながら、インディロックとしては異例のヒットとなった前作『彼らは鉄腕ナインティーン』から3ヶ月。
凄まじい成長を果たした、というか、自分の耳にはもはや別のバンドに聞こえるくらい、清々しい覚悟が鳴らされたロックンロールアルバムだ。

今、音楽とは一生懸命熟成させていくものというより、それこそほしいものを検索して、賢く選んで、効率よく組み合わせて作っていくものだ。
そういうロックがたくさんある。
そして、それ、全然オッケーだと思う。
既存のジャンルをぶっ壊せ、というスローガンはかっこいいが、今の世代からすると、すでに目の前には死ぬほどかっこいい音楽が広がっている状態なんだと思う。
で、それを聴き、いいなと思う健全な精神もある。だったら、そんな健全さから新しいロックが生まれたってそれは全然間違ってない。
承継のやり方として、むしろそこそこいい話なんじゃないか、と思う。

そんなふうに、ある意味さばけた「今」の空気感を何よりクールに、飄々と、思い切り気持ちいい角度でぶつけてきたのがコンポラの前作だった。
きちんと整理されたごった煮感というような、誤解を恐れずに言ってしまうならば、センスのいい友人のiPodの中身を見たときのような感覚が、僕にはあった。
しかし、今回届いた『ぼくらのキラーチューン』は、さきほどの文脈でいうなら、「一生懸命熟成させていく音楽」に近い。
コンポラがコンポラのロックを作ろうとしているように聴こえるのだ。
というか、これは完全に朝日廉固有の、パーソナルなロックンロールだ。
属世代的なライトな楽しさもあるが、もっともっと本質的な、従来のロックに近い、属人的な音楽である。

これ、すごい変化である。
本人がどこまで自覚しているのかはわからないが、腹の決まったコンポラのロックンロールはもうむちゃくちゃかっこいい。
メロディの精度がぐっと上がり、最短距離で感性に刺さってくる。ライヴでの爆発力も当然スケールアップしているだろう。
その象徴的な曲がこれだと思う。
ミニアルバムのタイトルが、『彼らは〜』から『ぼくらの〜』になっているというのもまた象徴的といえば象徴的だが、世代観を写す距離感から、世代を生きている当事者の距離感を描くようになったコンテンポラリーな生活。
いくぶん乱暴な言い方だが、このバンドのような変化をいかにスピーディに的確にやれるのか、それが今後のロックバンドの行く先を占うスタイルになっていくような気がする。
いずれにせよ、この時代に、本当に気持ちのいいマインドとその変化に向き合った作品に出会えて、とても嬉しい。
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