このブログを読んでくれている人へ。さよなら、また今度ねに出会ってほしいです

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早くこの曲の全部を、彼らのアルバムの全曲を聴いてもらいたい。

さよなら、また今度ねを聴いていると自分ははっきりとひとつのことを思い出す。

子供のころ、自分はなんにでも心があると思っていた。
なんて書くと、読むほうも書くほうもしんどい話に思えてきてしまうが、本当のことなんだから仕方がない。
夜、眠りについても、部屋の片隅に転がっているボールやぬいぐるみや将棋板や洗濯ばさみなんかがすごく寒がっているような、書けば書くほど意味不明だが、「あのボールは今すごく寂しいんじゃないか」と急に思えてしまう瞬間があって、そうなるともう大変であった。
一晩中かけて部屋中のものを布団の中に入れてあげて、挙句、自分は布団の外で寝ている、ということがよくあった。
母親は「バカじゃないの。風邪引くでしょ」と叱りながらも、すごく楽しそうだった。もしかしたら、自分の息子からほんの少しの優しさを感じていたのかもしれない。
もし、今ぼくの娘が同じことをしたら、ぼくはたぶん、「バカじゃないの」と叱りながら、こっそりアタマをなでてやるんじゃないか。

さよ今の音楽は、ぼくにそのころの気持ちを思い出させる。
さよ今の曲を作っているのは菅原達也というやつだが、菅原にはきっと今も、ボールや机やぬいぐるみや布団や将棋板が生きていて、ちょっと寒いよとか、今日は暑いねとか、そんなことを話しかけてくるものに思えているんじゃないだろうか。
そんなことを思う。
本当のことは知らない。
本人とそんな話をしたこともないし。
でも、ぼくはさよなら、また今度ね、の音楽とはそういう音楽だと思っている。

この”輝くサラダ”という曲はまさに、野菜やサラダやドレッシングには心があって、彼らが海や陸を越えてガチャガチャと集まってきて、そんな野菜たちをまるで母親のように叱ったり育てたり褒めたり愛したりしてサラダににしていく君はとても綺麗だ、という曲である。
本当に、ドラマチックな曲である。涙が溢れてくる曲である。
これこそドラマチック、というやつである。
擬人法、なんてレベルを超えている。
完全にオリジナルな、この世の中で菅原にしか持ち得ない、彼にしか感じ得ない、表現し得ない愛情表現だと思う。
なんて幼くて、なんて無垢な愛情表現なんだろう。
しかし、この誰にも理解し得ないはずの菅原個人の思いは、どういうわけか、ぼくの心を震わせる。あのころの景色を思い出させる。
いいようのない、あたたかで懐かしくて、そしてちょっとだけ自分が自分でよかったと思わせる何かを与えてくれる。
ただの1点の結び目によって深くつながっていくもの、つまり、これこそが理想的なポップソングなのだと思う。

さよなら、また今度ね、のポップがひとりでも多くの人の「あの頃の景色」とつながり、ひとりでも多くの人が少しだけあたたかな気持ちになれるといい。
ぼくは本当にそんなドラマチックなことを思っている。

アルバムの発売は9月18日です。みんな、絶対にチェックしておきましょう。
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