グランジのことをわかってなかった

グランジのことをわかってなかった

ようやくリリースされた、Nirvana『Live At Reading』を観た。
1992年8月30日、Nirvana最後のピースと言われ、伝説と呼ばれていたその映像は、
あらためて言うのもはばかれるほど、凄まじかった。
けれどそれは、全25曲に放たれた圧倒的なエナジーのことでも、
アップにされたギターが血染めだったことでも、
よく語られる、最後に敢行される見慣れた破壊行為のことでもなかった。
それはやはり、カート・コバーンのその表情に尽きた。

あの、いつも眠そうな、ダルで退屈そうなカートの表情。
フラストレーションをバカでかい音量で鳴らすことに何某かの意味はあるはずだ、
そんな物言いがグランジの定義として語られてきたし、確かにそれはそうなのだけど、
ではなぜグランジだけが、というかカートだけが、
ロックの歴史においていまなお特異な極北としてポツンと存在しているのか、
そのことを十分に説明するには足りていなかったとも思うのだ。

初めてフルで観たそのパフォーマンスには、当たり前のように何のドラマもなかった。
それはひどく淡々と、その放たれる音量がどこか遠くで木霊しているもののように静かなステージだった。

それはなぜだったか。そのことの説明は、実はライブが終わった後の映像にあった。
ステージを降りるスロープの途中で、スタッフがカートを呼び止める。
関係者の家族なのだろう、ひとりの子供が寄ってきて、
興奮しながらカートにあれこれまくしたてる。
カートは別に嫌がる様子でもなく、その子供に応対をする。
「気をつけて」などと声をかける(その子供は白血病なのである)。

けれど、そんなことがあるのだろうか?
たった今、数万人のオーディエンスを前にパフォーマンスを展開してきたロッカーは、
こんなふうに振舞えるのだろうか?
有名になりたい。金をもうけたい。内なるオピニオンを天下に知らしめたい。誰かを幸せにしたい。
ロックの当事者には、それが高級であろうが低俗であろうが何らかの欲動があって、
それは、とりわけライブの現場において最大に発散されるものだ。
それがロックの発端となる衝動で、そのことがロックを特別にしてきたのだ。
だから、そこには、そんな場面には、少なくとも何か、高揚のような、高ぶりのようなものがあってしかるべきである。
それはどんなにネガティヴでシニカルな、あるいは経験をし尽くしたパフォーマーであっても、そうなはずである。

ここに記録されたカートの表情には、それがまったくなかったのである。
まったく抑揚のない表情。
その表情は、かつてシアトルの薄汚い部屋でひとり誰にも顧みられない歌を歌っていたときの表情と、
(おそらくは)まったく同じだったのだ。

それはどういうことなのか。
それはつまり、カートはもう「死んでいた」ということである。
それはもう、とっくの昔に、無名のインディー・バンドのギタリストであったときからすでに、そうだったということである。
もっと言ってしまえば、ロックが巻き起こすことのできるあらゆる肯定的で建設的なヴァイブは、カートにとってすでに意味がなかったということである。
フラストレーションをぶちまけたとしても、その先で何かを得ようとか何処かへ行こうとか、
そんなことはなかったのだ。

打ちのめされてしまった。
グランジとは、「死体のロック」だった。
グランジと呼ばれたものごとのことを、まったくわかっていなかった。
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